下條 信近(しもじょう のぶちか)は、江戸時代中期の旗本、石州流の茶人。

 
下條信近
時代 江戸時代中期
生誕 元禄8年(1695年
死没 寛保元年(1741年
改名 大久保忠利→下條信近
別名 萬三郎、主計、半兵衛(通称
墓所 東京都渋谷区広尾祥雲寺
幕府 江戸幕府
主君 徳川家継吉宗
氏族 大久保氏片桐氏庶流下條家
父母 父:大久保忠直、母:大久保包教の娘
養父:下條信隆
兄弟 大久保忠英大久保忠備信近
信與
テンプレートを表示

片桐石州直伝の流儀を養父下條信隆より伝授される。牛込御門外若宮に住す。正徳5年(1715年)、将軍徳川家継御目見する。翌享保元年(1716年8月15日に家督を継ぐ。小普請、御書院番を歴任し、後に二の丸、西城と勤める。

寛保元年(1741年)死去、享年47。