下徳富駅
下徳富駅(しもとっぷえき)は、北海道樺戸郡新十津川町字花月(かげつ)にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)札沼線(学園都市線)の駅(廃駅)である。事務管理コードは▲130220[1][注 1]。
下徳富駅 | |
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駅舎(2017年8月) | |
しもとっぷ Shimo-Toppu | |
◄南下徳富 (2.1 km) (5.0 km) 新十津川► | |
所在地 | 北海道樺戸郡新十津川町字花月 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | 札沼線(学園都市線) |
キロ程 | 71.5 km(桑園起点) |
電報略号 | モツ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1934年(昭和9年)10月10日 |
廃止年月日 | 2020年(令和2年)5月7日[JR北 1] |
備考 |
無人駅 路線廃止に伴う廃駅 |
歴史
編集- 1934年(昭和9年)10月10日:国有鉄道札沼北線中徳富駅(初代、現在の新十津川駅) - 浦臼駅間の延伸開業に伴い、同線の駅として開業[3]。一般駅[4]。
- 1935年(昭和10年)10月3日:国有鉄道の石狩当別駅 - 浦臼駅間が延伸開業。従来の札沼南線(桑園駅 - 石狩当別駅間)と札沼北線(浦臼駅 - 石狩沼田駅間)が編入・統合され、札沼線に改称[JR北 2]。
- 1943年(昭和18年)10月1日:第二次世界大戦の激化に伴い、札沼線の石狩月形駅 - 石狩追分駅間が不要不急線に指定され、営業休止[5]。それに伴い、当駅も営業休止。
- 1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道法施行に伴い、日本国有鉄道(国鉄)に継承。
- 1953年(昭和28年)11月3日:札沼線の浦臼駅 - 雨龍駅間が営業再開[新聞 1]。それに伴い、当駅も営業再開。
- 1979年(昭和54年)2月1日:貨物・荷物取扱い廃止[4]。同時に駅員無配置駅となり[6]、簡易委託化。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(JR北海道)に継承[4]。
- 1991年(平成3年)3月16日:札沼線に「学園都市線」の愛称を設定[JR北 2][JR北 3][7]。
- 1996年(平成8年)3月16日:札沼線(学園都市線)のうち、当駅を含む石狩当別駅 - 新十津川駅間でワンマン運転開始[7]。
- 2016年(平成28年)
- 2020年(令和2年)
駅名の由来
編集「徳富」の由来はアイヌ語の「トㇰ(tok)」(隆起)であり[8]、この地域を流れる徳富川が川筋をしばしば変え、河跡が隆起し陸地となったことによる名である[9]。
当駅は、石狩川を基準にして下流方にあることから「下」を冠した[10]。
駅構造
編集廃止時点で単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。石狩当別駅(現・当別駅)が管理していた無人駅で、駅舎を持っていた。
1976年時点では島式ホーム1面2線を有し、交換設備が設置されていたほか、駅舎横の札幌方に貨物ホームがあった。貨物取扱廃止後、列車本数が極端に少ないことから交換設備が廃止され、島式ホームの駅舎側と貨物ホームの線路が撤去された。
2020年5月7日の北海道医療大学駅 - 新十津川駅間の廃止にあたって、同日未明にホームに設置されていた駅名標および駅舎に掲げていた駅名板が撤去された[新聞 5]。
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待合室(2017年8月)
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ホーム(2017年8月)
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駅名標(2017年8月)
利用状況
編集乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書き1日平均欄に示す。なお「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | ||
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年間 | 1日平均 | JR調査 | |||
1953年(昭和28年) | 7,057 | (19.3) | [11] | 同年11月3日より営業(再開) | |
1958年(昭和33年) | 35,342 | (96.8) | |||
1962年(昭和37年) | 20.814 | (57.0) | |||
2015年(平成27年) | 1名以下 | [JR北 6] | |||
2016年(平成28年) | 0.4 | [JR北 7] | |||
2017年(平成29年) | 0.6 | [JR北 8] | |||
2018年(平成30年) | 0.8 | [JR北 9] | |||
2019年(令和元年) | 1.0 | [JR北 10] |
駅周辺
編集周辺は田園風景の小さな集落。レンガ建ての大きな農業倉庫などが建っている。大きな集落が国道沿いにできている。
今後の予定
編集2020年(令和2年)5月の当駅廃駅後、駅舎・当駅跡地・線路跡地は新十津川町に無償譲渡される[新聞 6]。2020年度(令和2年度)から3年間の間に、駅は解体される予定である[13]。また、町は札沼線の線路によって水田地帯が分断されている現状を解消し、基幹産業の稲作の振興を進めるため、2020年度(令和2年度)から3年間の間に、当駅周辺を含めた線路跡地を水田に戻す予定である[13]。
隣の駅
編集脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ 日本国有鉄道旅客局 編『日本国有鉄道 停車場一覧』日本国有鉄道、1985年9月20日、188頁。doi:10.11501/12065988。ISBN 4-533-00503-9 。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、220頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ 『官報』 1934年10月04日 鉄道省告示第477号(国立国会図書館)
- ^ a b c 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、834頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 「鉄道省告示第255号」『官報』1943年9月2日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ “「通報」●札沼線石狩金沢駅ほか5駅の駅員無配置について(旅客局)”. 鉄道公報 (日本国有鉄道総裁室文書課): p. 3. (1980年1月31日)
- ^ a b 杉山茂「電化目前の学園都市線と専用気動車のこと」『鉄道ファン』第615号、交友社、2012年7月、27頁。
- ^ 本多 貢 (1995-01-25). 児玉 芳明. ed (日本語). 北海道地名漢字解. 札幌市: 北海道新聞社. p. 164. ISBN 4893637606. OCLC 40491505 2018年11月4日閲覧。
- ^ “アイヌ語地名リスト ツキサ~トヨコ P81-90P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2014年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年11月5日閲覧。
- ^ 札幌鉄道局編 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年、32頁。NDLJP:1029473。
- ^ 小林宏吉 編『新十津川町史』新十津川町、1966年3月25日、925頁。doi:10.11501/3448789 。2022年6月14日閲覧。
- ^ “花月市街 のりば地図”. 北海道中央バス. 2019年6月5日閲覧。
- ^ a b 新十津川町 年刊 まちづくり読本 令和2年度予算版. 新十津川町. (2020年4月). pp 29. オリジナルの2020年4月19日時点におけるアーカイブ。 2020年4月19日閲覧。
JR北海道
編集- ^ a b 『札沼線(北海道医療大学・新十津川間)の鉄道事業廃止届の提出について』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2018年12月21日。オリジナルの2018年12月24日時点におけるアーカイブ 。2018年12月24日閲覧。
- ^ a b 『札沼線(学園都市線)の電化について』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2009年9月9日 。2009年9月14日閲覧。
- ^ 『札沼線(学園都市線)の電化開業時期について』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2011年10月13日 。2011年10月17日閲覧。
- ^ 『3月26日以降の普通列車時刻について』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2016年2月8日 。2016年2月9日閲覧。
- ^ 『札沼線(北海道医療大学・新十津川間)最終運行について』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2020年4月16日。オリジナルの2020年4月16日時点におけるアーカイブ 。2020年4月16日閲覧。
- ^ “極端にご利用の少ない駅(3月26日現在)” (PDF). 平成28年度事業運営の最重点事項. 北海道旅客鉄道. p. 6 (2016年3月28日). 2017年12月10日閲覧。
- ^ 「札沼線(北海道医療大学・新十津川間)」(PDF)『線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)』、北海道旅客鉄道株式会社、2017年12月8日。オリジナルの2017年12月9日時点におけるアーカイブ 。2017年12月10日閲覧。
- ^ 「札沼線(北海道医療大学・新十津川間)」(PDF)『線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために)』、北海道旅客鉄道株式会社、2018年7月2日。オリジナルの2017年12月31日時点におけるアーカイブ 。2018年7月4日閲覧。
- ^ “札沼線(北海道医療大学・新十津川間)” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2019年10月18日). 2019年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月18日閲覧。
- ^ “札沼線(北海道医療大学・新十津川間)” (PDF). 地域交通を持続的に維持するために > 輸送密度200人未満の線区(「赤色」「茶色」5線区). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2020年10月30日). 2020年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年11月4日閲覧。
- ^ 『平成18年3月ダイヤ改正について』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2005年12月22日。オリジナルの2005年12月30日時点におけるアーカイブ 。2010年7月23日閲覧。
新聞記事
編集- ^ “札沼線開通”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1953年11月4日)
- ^ “札沼線・北海道医療大学―新十津川 20年5月7日に廃止”. 北海道新聞. (2018年12月8日). オリジナルの2018年12月17日時点におけるアーカイブ。 2018年12月8日閲覧。
- ^ “札沼線廃止、21日にも届け出 JR、沿線4町と覚書調印”. 北海道新聞. (2018年12月21日). オリジナルの2018年12月23日時点におけるアーカイブ。 2018年12月23日閲覧。
- ^ “JR札沼線、北海道医療大学-新十津川間が廃止へ 2020年5月、地元と合意”. 毎日新聞. (2018年12月20日). オリジナルの2018年12月23日時点におけるアーカイブ。 2018年12月23日閲覧。
- ^ “札沼線静かに廃止 新十津川-道医療大 駅名標を撤去”. 北海道新聞. (2020年5月7日). オリジナルの2020年5月14日時点におけるアーカイブ。 2020年5月14日閲覧。
- ^ “新十津川町長も廃線容認を表明、JR札沼線” (日本語). 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2018年6月25日). オリジナルの2020年4月19日時点におけるアーカイブ。 2020年4月19日閲覧。
- ^ “消える駅 ダイヤ改正で「中徳富」廃止”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2006年3月21日)