下平町
下平町 | |
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町丁 | |
北緯35度4分21.65秒 東経137度18分17.41秒 / 北緯35.0726806度 東経137.3048361度座標: 北緯35度4分21.65秒 東経137度18分17.41秒 / 北緯35.0726806度 東経137.3048361度 | |
都道府県 | 愛知県 |
市町村 | 豊田市 |
地区 | 足助地区 |
人口情報(2020年(令和2年)10月1日現在[WEB 1]) | |
人口 | 61 人 |
世帯数 | 16 世帯 |
面積(2020年(令和2年)10月1日現在[WEB 2]) | |
1.857336977 km² | |
人口密度 | 32.84 人/km² |
郵便番号 | 444-2332[WEB 3] |
市外局番 | 0565[WEB 4] |
ナンバープレート | 豊田[WEB 5] |
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地理
編集山岳
編集- 焙烙山[1]
歴史
編集地名の由来
編集沿革
編集- 江戸時代 - 三河国加茂郡の下平村として所在[1]。旗本梶氏知行[1]。
- 1869年(明治2年) - 重原藩領となる[1]。
- 1878年(明治11年) - 東加茂郡下平村となる[1]。
- 1889年(明治22年) - 豊栄村大字下平となる[1]。
- 1906年(明治39年) - 盛岡村大字下平となる[1]。
- 1955年(昭和30年) - 足助町大字下平となる[1]。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 足助町大字下平が合併に伴い、豊田市下平町となる[WEB 6]。
人口の変遷
編集国勢調査による人口および世帯数の推移。
1995年(平成7年)[WEB 7] | 16世帯 76人 |
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2000年(平成12年)[WEB 8] | 16世帯 89人 |
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2005年(平成17年)[WEB 9] | 16世帯 73人 |
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2010年(平成22年)[WEB 10] | 16世帯 66人 |
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2015年(平成27年)[WEB 11] | 17世帯 67人 |
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2020年(令和2年)[WEB 1] | 16世帯 61人 |
脚注
編集WEB
編集- ^ a b 総務省統計局 (2022年2月10日). “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等” (CSV). 2023年8月2日閲覧。
- ^ “愛知県豊田市の町丁・字一覧”. 人口統計ラボ. 2024年2月26日閲覧。
- ^ “読み仮名データの促音・拗音を小書きで表記するもの(zip形式) 愛知県” (zip). 日本郵便 (2024年2月29日). 2024年3月26日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧” (PDF). 総務省 (2022年3月1日). 2022年3月22日閲覧。
- ^ “ナンバープレートについて”. 一般社団法人愛知県自動車会議所. 2024年1月21日閲覧。
- ^ “愛知県豊田市の郵便番号一覧”. 日本郵便. 2024年3月3日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年3月28日). “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月20日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年5月30日). “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月20日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2014年6月27日). “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2012年1月20日). “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
- ^ 総務省統計局 (2017年1月27日). “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等” (CSV). 2021年7月21日閲覧。
書籍
編集参考文献
編集- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。