下山街道(しもやまかいどう)とは、愛知県岡崎市滝町から市内北部(旧額田町地域)の下山(現・保久町方面)に至る街道である。

概要

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この地域の集落の多くは山々の間に存在する。隣の集落へ行くにしても川や沢を渡り、峠を越えていかなければならない。よって道は地形的に制約があった。その中で地域間を貫き、他の集落へ出る道はどれもすべて重要な道筋であった。

岡崎市北部(旧額田町地域)を東西に抜ける下山街道は、滝から大柳を経て一色を通り、下山[1]の集落に至る。さらに東に行けば新城に通じる挙母街道に通じる街道で、昔からこの地域に住む人々の重要な道であった。滝から大柳までは大沼街道と同じ道筋である。大沼街道は大柳簡易郵便局の交差点を北に行くが、下山街道は一色のある東へ進む。

1889年明治22年)5月から、額田郡六道の1つとして大がかりな改修工事が行われた。現在、一色町内に残る「永瀬」と題する碑文[2]に刻まれる文字がこのときの様子を伝えている。

また1926年大正15年)から1939年昭和14年)までの期間も、四期にわたって改修工事が行われている。これにより一色にも朝1往復・夕1往復の通学バスが通ることが可能になったという。

沿線・周辺

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関連項目

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  • 大沼街道(岡崎市、豊田市)
  • 松平往還(岡崎市、豊田市)
  • 挙母街道(日進市、みよし市、豊田市、新城市)

脚注

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  1. ^ 「下山」はかつて住民の話し合いにより東加茂郡の下山村と額田郡の下山村に分割されていた。一般的に愛知県で下山といえば、豊田市に編入された旧東加茂郡下山村のことを指すが、ここでいう下山街道とは特に額田郡の下山を指す。現在の岡崎市内には町名としては存在せず、保久町にある下山小学校や市役所の下山出張所などが名残をとどめている。
  2. ^ すぐ傍らに道標があり、「前 岡崎 常磐 道」「右 保久 作手 道」「左 田代」と刻まれている。

参考文献

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  • 『額田町史』(額田町史編集委員会)