上田閑照
日本の哲学者 (1926-2019)
上田 閑照(うえだ しずてる、1926年1月17日 - 2019年6月28日)は、日本の哲学者。専門はドイツ哲学・宗教哲学[1]。京都大学名誉教授。京都学派を継承し、禅、東西神秘主義[1]、エックハルト、ハイデッガー、京都学派思想などの研究を行った。
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人物情報 | |
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生誕 |
1926年1月17日![]() 東京都 |
死没 |
2019年6月28日(93歳没)![]() 京都府宇治市 |
居住 | 滋賀県大津市 |
出身校 |
京都大学 マールブルク大学 |
配偶者 | 上田真而子(ドイツ文学者) |
両親 | 父:上田天瑞(仏教学者) |
学問 | |
学派 | 京都学派 |
研究分野 |
ドイツ哲学 宗教哲学 エックハルト研究 |
研究機関 |
高野山大学 京都大学 花園大学 |
主な指導学生 |
氣多雅子 杉村靖彦 |
学位 |
Ph.D.(マールブルク大学・1963年) 文学博士(京都大学・1976年) |
称号 | 京都大学名誉教授(1989年) |
主要な作品 |
『マイスター・エックハルト』 『西田幾多郎を読む』 『宗教への思索』ほか |
学会 | エラノス会議 |
主な受賞歴 |
日本宗教学会賞 (1966年) 仏教伝道文化賞 (2003年) 京都府文化賞(2014年) 文化功労者(2018年) |
経歴
編集- 出生から修学期
1926年、高野山真言宗僧侶の父・上田天瑞の長男として東京都で生まれた[1]。横浜市立間門小学校[2]、神奈川県立横浜第一中学校で学んだ。1943年に中学を卒業し、第一高等学校に入学[3]。太平洋戦争の戦局悪化により就学期間が2年短縮され、1945年3月に卒業。京都帝国大学文学部に進学したが、4月中に召集し、本土防衛の任に就いた。戦後、1946年に京都帝国大学文学部に復学。哲学科で宗教学を専攻した。1949年に同大学を卒業。
- 哲学者として
1954年、高野山大学専任講師に就いた。1963年に同助教授に昇格。1963年6月、京都大学教養部助教授に転じた。同1963年、マールブルク大学に学位請求論文『マイスター・エックハルト研究』を提出してPh.D.を取得。エラノス会議の後期の参加者であった。1967年より教育学科所属の助教授となり、1973年に教授昇格。1976年、学位論文『東西神秘主義研究』を京都大学に提出して、文学博士。1977年からは文学部哲学科に移り、宗教学講座を担当した。1989年に京都大学を定年退職し、名誉教授となった。
その後は1991年より花園大学客員教授を1999年まで務めた。2003年、日本学士院会員に選出[4]。滋賀県大津市に住んだが、2019年6月28日0時47分、肺炎のため死去[5]。93歳没。
- 職歴
受賞・栄典
編集研究内容・業績
編集京都学派に分類される哲学者である。主な著作は『上田閑照集』(全11巻)にまとめられている。
家族・親族
編集著作
編集- 著書
- 『禅仏教』筑摩書房 1973
- 『禅仏教 根源的人間』岩波書店〈同時代ライブラリー〉 1993
- 『マイスター・エックハルト』〈人類の知的遺産 21〉講談社 1983
- 『エックハルト 異端と正統の間で』講談社学術文庫 1998
- 『生きるということ』人文書院 1991
- 『西田幾多郎を読む』岩波書店〈岩波セミナーブックス〉 1991
- 『場所 二重世界内存在』弘文堂 1992
- 『実存と共存 二重世界内存在』ちくま学芸文庫 1999
- 『経験と自覚 西田哲学の「場所」を求めて』岩波書店 1994
- 『西田哲学への導き 経験と自覚』岩波書店〈岩波同時代ライブラリー〉 1998
- 『西田幾多郎 人間の生涯ということ』岩波書店〈同時代ライブラリー〉 1995
- 改訂版『西田幾多郎とは誰か』岩波現代文庫 2002
- 『宗教への思索』創文社 1997
- 『ことばの実存』筑摩書房 1997
- 『人間の生涯ということ』人文書院 1998
- 『私とは何か』岩波書店〈岩波新書〉 2000
- 『十牛図を歩む』大法輪閣 2002
- 『折々の思想』燈影舎〈燈影撰書31〉 2010
- 著作集
- 『上田閑照集』岩波書店(全11巻)2001-03年
- 西田幾多郎
- 経験と自覚
- 場所
- 禅‐根源的人間
- 禅の風景
- 道程「十牛図」を歩む
- マイスター・エックハルト
- 非神秘主義 エックハルトと禅
- 虚空/世界
- 自己の現象学
- 宗教とは何か
- 『上田閑照 哲学コレクション』 岩波現代文庫(全5巻)2007-08年
- 『宗教』
- 『経験と場所』
- 『言葉』
- 『非神秘主義 禅とエックハルト』
- 『道程 思索の風景』
- 共著
関連文献
編集脚注
編集- ^ a b c d 上田閑照・柳田聖山『十牛図』筑摩書房〈ちくま学芸文庫〉、1992年12月、著者紹介(カバー)頁。ISBN 4-480-08024-4。
- ^ 父は高野山大学に勤務していたが、父が住職を務める寺(真福寺)は横浜にあった。
- ^ 一高在学時の記念祭で、後に進学する京都帝国大学文学部の哲学者西谷啓治の講演を聞いており、そのことが進路を決めるきっかけの一つとなった。
- ^ 日本学士院(物故会員)
- ^ 上田閑照氏死去=京都大名誉教授 93歳(時事ドットコム 2019年7月10日) - ウェイバックマシン(2019年7月14日アーカイブ分)
- ^ “文化勲章受章者・文化功労者の主な業績”. 日本経済新聞 (2018年10月26日). 2023年6月27日閲覧。
- ^ 大澤広嗣2023「上田天瑞と上田閑照 : ビルマと横浜の家族史」『龍谷大学世界仏教文化研究論叢』61,37-60頁.
- ^ 前半を上田担当、後半を柳田担当。
- ^ 新版2008、岩波現代文庫 2002