上川淵村
日本の群馬県勢多郡にあった村
上川淵村(かみかわふちむら)は群馬県の中南部、勢多郡に属していた村である。二度に分けて前橋市に編入されたため、現在は旧村域北部が前橋市本庁管内、南部が上川淵地区に相当する。
かみかわふちむら 上川淵村 | |
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廃止日 | 1954年4月1日 |
廃止理由 |
編入合併 上川淵村、下川淵村、芳賀村、桂萱村、東村、元総社村、総社町 → 前橋市 |
現在の自治体 | 前橋市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 群馬県 |
郡 | 勢多郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 8.02 km2. |
総人口 |
4,679人 (1952年9月30日) |
隣接自治体 | 群馬県:前橋市、勢多郡下川淵村、木瀬村、群馬郡東村、佐波郡上陽村 |
上川淵村役場 | |
所在地 | 群馬県勢多郡上川淵村 |
座標 | 北緯36度21分47秒 東経139度06分03秒 / 北緯36.36303度 東経139.10083度座標: 北緯36度21分47秒 東経139度06分03秒 / 北緯36.36303度 東経139.10083度 |
ウィキプロジェクト |
地理
編集歴史
編集- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により周辺8村(六供村、市之坪村、上佐鳥村、朝倉村、後閑村、宮地村、下佐鳥村、橳島村)と紅雲分村、宗甫分村、前代田村、天川原村の各一部が合併し東群馬郡上川淵村が成立する。
- 1896年(明治29年)4月1日 - 郡統合(東群馬郡と南勢多郡の統合)により勢多郡に所属する。
- 1901年(明治34年)4月1日 - 村の一部(六供、天川原、市之坪、前代田、宗甫、紅雲)が前橋市へ編入する。
- 1954年(昭和29年)4月1日 - 周辺1町5村(勢多郡下川淵村、芳賀村、桂萱村、群馬郡東村、元総社村、総社町)とともに前橋市へ編入する。前橋市上川淵地区となる。
- 1960年(昭和35年)4月1日 - 前橋市が玉村町(旧上陽村地域)の西善、山王、中内、東善と城南村(旧木瀬村地域)の駒形を編入する。西善、山王、中内、東善は上川淵地区の所属となる。(駒形は永明地区に所属)
地域
編集村内の大字
編集前橋市に編入(1901年)され離脱した大字
編集教育
編集小学校
編集中学校
編集行政
編集歴代村長
氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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中沢久弥 | 1909年(明治42年)6月15日 | 1911年(明治44年)7月 | 辞職 |
目崎武平 | 1911年(明治44年)4月27日 | 1915年(大正4年)4月26日 | |
手島菊松 | 1915年(大正4年)7月21日 | 1917年(大正6年)7月30日 | |
岡田林治郎 | 1917年(大正8年)7月19日 | 1921年(大正12年)7月30日 | |
川和良作 | 1921年(大正12年)8月7日 | 1927年(昭和2年)8月6日 | |
中沢久太郎 | 1927年(昭和2年)8月7日 | 1929年(昭和4年)3月16日 | 死亡 |
石田庄三郎 | 1929年(昭和4年)5月8日 | 1937年(昭和12年)5月7日 | |
阿佐美藤三郎 | 1937年(昭和12年)5月8日 | 1938年(昭和13年)1月29日 | 病気により辞職 |
川和桂三郎 | 1938年(昭和13年)3月9日 | 1946年(昭和21年)3月18日 | |
大島定男 | 1946年(昭和21年)5月20日 | 1946年(昭和21年)12月12日 | 辞職 |
中沢半造 | 1947年(昭和22年)3月5日 | 1951年(昭和22年)4月7日 | 辞職 |
北堀慶弥 | 1951年(昭和22年)4月6日 | 1954年(昭和29年)3月31日 | 前橋市と合併 |