上塩冶地蔵山古墳
上塩冶地蔵山古墳(かみえんやじぞうやまこふん)は、島根県出雲市上塩冶町にある古墳。国の史跡に指定されている。
上塩冶地蔵山古墳 | |
---|---|
墳丘・石室開口部 | |
所在地 | 島根県出雲市上塩冶町 |
位置 | 北緯35度20分45.95秒 東経132度45分34.15秒 / 北緯35.3460972度 東経132.7594861度座標: 北緯35度20分45.95秒 東経132度45分34.15秒 / 北緯35.3460972度 東経132.7594861度 |
形状 | 不明 |
埋葬施設 |
石棺式横穴式石室 (内部に横口式家形石棺・有縁屍床) |
築造時期 | 7世紀前半 |
史跡 | 国の史跡「上塩冶地蔵山古墳」 |
地図 |
概要
編集島根県北東部、神戸川北岸の低丘陵裾部に築造された古墳である[1]。現在までに墳丘は大きく削平を受けているほか、発掘調査は実施されていない。
墳形は削平のため明らかでなく、現在では一辺15メートル・高さ5メートルの方墳状を呈する[1][2]。埋葬施設は石棺式石室系の横穴式石室で、南東方向に開口する。凝灰岩(一部砂岩)の切石によって構築された整美な石室で、玄室(奥室)・前室・羨道から構成される複室構造であり、玄室には刳抜式横口式家形石棺・有縁屍床(箱形石棺)が並び据えられる。古くから開口しているため、副葬品は詳らかでない。
この上塩冶地蔵山古墳は、古墳時代終末期の7世紀前半頃の築造と推定される[3]。出雲平野における代表的な終末期古墳の1つであり、今市大念寺古墳・上塩冶築山古墳に続く出雲地方の首長墓に位置づけられる古墳である。
埋葬施設
編集埋葬施設としては石棺式石室系の横穴式石室が構築されており、南東方向に開口する。玄室(奥室)・前室・羨道から構成される複室構造の石室である。石室の規模は次の通り[1]。
- 石室全長:約9メートル
- 玄室(奥室):長さ2.6メートル、幅2.4メートル、高さ2.5メートル
- 前室:長さ2.35メートル、幅2.25メートル、高さ2.15メートル
- 羨道:長さ2.9メートル、幅1.9メートル、高さ1.75メートル
石室の石材には凝灰岩(一部砂岩)の切石が使用される[1]。玄室(奥室)は奥壁・両側壁・天井のいずれも各1石によって構築されるほか、前壁中央には入り口を刳り抜いており[1]、出雲地方東部に多く見られる「石棺式石室」の特徴を有する。玄室内には床面一杯に、奥に刳抜式の横口式家形石棺が、手前に有縁屍床(箱形石棺)がいずれも石室主軸と直角方向に据えられる[1]。
前室は両側壁は2段積みによって構築され、一部に切組積みが認められる[1]。羨道は西壁は2段積み、東壁は1枚石で小型の石を補う[1]。
-
前室(玄室方向)
-
前室(開口部方向)
-
羨道(玄室方向)
-
開口部
文化財
編集国の史跡
編集現地情報
編集所在地
交通アクセス
関連施設
- 出雲弥生の森博物館(出雲市大津町)
周辺
脚注
編集参考文献
編集- 史跡説明板(出雲市教育委員会設置)
- 上塩冶地蔵山古墳パンフレット(島根県出雲市、2009年)
- 地方自治体発行
- 「地蔵山古墳」『出雲塩冶誌』出雲塩冶誌刊行委員会、2009年。
- 事典類
- その他
- 「出雲平野の周辺」『出雲文化財散歩』学生社、1973年。
- 「出雲平野の後期古墳」『日本の古代遺跡20 島根』保育社、1985年。
- 「上塩冶地蔵山古墳」『出雲の古墳アドベンチャー』今井出版、2017年。