上久保氏(かみくぼし)は日本氏族のひとつ。上窪とも。

概要

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上久保氏は信濃国に多く分布している。もとは久保氏[1]。なお、信濃国の久保氏本姓源氏とし、清和天皇第六皇子 貞純親王の王子 経基王の子 満仲の四男 頼信を祖とする河内源氏の系統で、頼信の三男 頼季を祖とする井上氏の傍系 久保氏であるという[2]

以下は井上氏から久保氏に至る系図である。

系譜 源頼季五世、井上忠長―井上太郎長直―窪小太郎長時

相模国の上久保氏

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小田原戦国大名 後北条氏家臣に上久保氏あり。天正18年(1590年6月23日豊臣秀吉小田原征伐に伴い行われた八王子城攻めで討ち死にした北条方の武将上久保助兵衛、同兵衛の名が見える[3]

常陸国の上久保氏

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常陸国にも上久保姓多い。本姓は藤原氏家紋丸に梅鉢丸に立ち沢潟を用いるという[4]。 尚、幕末維新期に活躍した者に上久保姓の人物が見られるため、以下に記す。

脚注

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  1. ^ 太田亮著、上田萬年三上参次監修『姓氏家系大辞典 第2巻』(角川書店1934年)1730頁参照。
  2. ^ 太田亮前掲書(角川書店、1934年)2123頁参照。
  3. ^ 山本康臣家所蔵『三ッ鱗翁物語巻三』天正十八年六月二十三日条。
  4. ^ 日本家紋研究会編『茨城県 家紋と姓氏』(日本家紋研究会、2001年)28頁参照。
  5. ^ 明田鉄男編『幕末維新全殉難者名鑑1』(新人物往来社1986年)424頁参照。

参考文献

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書籍

  • 明田鉄男編『幕末維新全殉難者名鑑1』(新人物往来社、1986年)ISBN 4404013353
  • 太田亮著、上田萬年、三上参次監修『姓氏家系大辞典 第2巻』(角川書店、1934年)
  • 日本家紋研究会編『茨城県 家紋と姓氏』(日本家紋研究会、2001年)

史料

  • 山本康臣家所蔵『三ッ鱗翁物語巻三』

関連項目

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