三輪野江村
日本の埼玉県南北葛飾郡にあった村
みわのえむら 三輪野江村 | |
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廃止日 | 1955年3月1日 |
廃止理由 |
新設合併 吉川町、旭村、三輪野江村 → 吉川町 |
現在の自治体 | 吉川市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 埼玉県 |
郡 | 北葛飾郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
4,478人 (国勢調査、1950年10月1日) |
隣接自治体 |
埼玉県: 早稲田村、吉川町、旭村 千葉県: 流山町 |
三輪野江村役場 | |
所在地 | 埼玉県北葛飾郡三輪野江村大字加藤 |
座標 | 北緯35度53分11秒 東経139度52分49秒 / 北緯35.88644度 東経139.88033度座標: 北緯35度53分11秒 東経139度52分49秒 / 北緯35.88644度 東経139.88033度 |
ウィキプロジェクト |
地理
編集- 河川: 江戸川
沿革
編集- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、三輪野江村、上笹塚村、会野谷村、関新田村、吉屋村、鹿見塚(ししみづか)村、加藤村、半割村、飯島村、土場(どじょう)村、中井村、皿沼(さらぬま)村、小松川村、中島村および二ッ沼村が合併して北葛飾郡三輪野江村が成立[1]。
- 村名は、合併村の大村であった三輪野江村を採用した。大字は旧村名を継承し、役場は大字加藤に設置する。
- 1894年(明治27年)12月 - 三輪尋常小学校本校(大字土場)を第一三輪尋常小学校へ、同分校(大字中井)を第二三輪尋常小学校へ改称する。
- 1895年(明治28年)4月1日 - 平方新田および深井新田のうち、江戸川西岸にあった飛地が千葉県東葛飾郡新川村から本村に編入される[2]。
- 1896年(明治29年)9月12日 - 午前11時に深井新田先で、江戸川の堤防が決壊する(明治29年の東京大水害)。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 第一三輪尋常小学校、第二三輪尋常小学校および深井新田尋常小学校を併合し、三輪野江尋常小学校とする。
- 1909年(明治42年)4月15日 - 三輪野江尋常小学校が高等科を併置し、三輪野江尋常高等小学校となる。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 三輪野江尋常高等小学校は、三輪野江国民学校となる。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 三輪野江国民学校は、三輪野江小学校となる。
- 1949年(昭和24年)11月10日 - 早稲田村との境界を変更する[3]。
関連項目
編集脚注
編集- ^ 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典11 埼玉県』、角川書店、1980年、ISBN 9784040011103
- ^ 吉川の地名・町名のおこり - 吉川市公式ホームページ
- ^ 昭和25年7月4日、総理府告示第221号
外部リンク
編集- 関東大震災の被害の様子 : 土木学会土木図書館
- 関東大震災の被害の様子 : 土木学会土木図書館