三縄一郎
日本映画における効果音の基礎を築いた人物とされる[1]。
経歴
編集歌手を目指し東洋音楽学校(現・東京音楽大学)で声楽を学んだ。新協劇団の女優であった姉の手伝いで[要出典]陰歌を手伝ったことをきっかけに、舞台音効の道へ進む[1]。ミリオンレコード社へ入社するも[要出典]日中戦争の激化で同社が解散となり、自身も召集を受ける[1]。
中国から帰国後の1942年(昭和17年)、東宝に入社し効果係となる[2][1]。半年ほど助手を務めたが、再び召集を受け、戦後から映画の音響効果を本格的に携わるようになる[1]。当時の映画は効果音が少なかったが、三縄は他人がやらないようなことをやりたいと考え、独自に台本にない効果音を当てていたところ、黒澤明に気に入られ黒澤映画で重用されるようになる[1]。時代劇での人が斬られる音や特撮映画での建物の破壊音などを創作していった[1]。怪獣映画では怪獣の鳴き声や足音なども手掛けた[2][1]。音響効果は複数名で作業を行っているが、クレジットでは代表して整音の下永尚だけ記載されているものが多い[1]。
1957年(昭和32年)9月に下永、宮崎正信と共に東宝ダビングを設立。1971年(昭和46年)4月、東宝から独立し東宝効果集団を結成する[2][1]。1987年(昭和62年)に機能を東宝録音センターに吸収する形で解散する。1992年(平成4年)に引退。
2017年12月16日、死亡。[要出典]
映画
編集脚注
編集参考文献
編集外部リンク
編集- 三縄一郎 - 日本映画データベース
- 三縄一郎 - allcinema
- Ichirô Minawa - IMDb