三田 綱勝(みた つなかつ)は、戦国時代から安土桃山時代武士

 
三田 綱勝
時代 戦国時代後期 - 安土桃山時代
生誕 大永6年(1526年
死没 天正5年3月17日1577年4月15日[1][2]
戒名 常証[2]
主君 北条氏照
氏族 三田氏
父母 父:三田三河守[注釈 1][2]
兄弟 綱秀綱勝[1]
守綱[1][2]
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生涯

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武蔵国多摩郡杣保の有力武士・三田氏の一族。兄とされる綱秀関東管領上杉氏に属して後北条氏の一門北条氏照と戦って滅亡したが、綱勝は氏照に属して下野国小山城に在城した。天正5年(1577年御館の乱越後国で起きると、後北条氏は血族である上杉景虎に加担して増援を派遣する。綱勝はこれに従って越後に入るが、春日山城の戦いで井筒信連と戦って討ち取られた。子の守綱は引き続き北条氏照に従って小山城にあったが、後北条氏の滅亡後は徳川家康に仕え、子孫は江戸幕府旗本となった[2]

脚注

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注釈

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  1. ^ 綱勝の兄という三田綱秀について、三田政定の子の三田綱定と同一人物とする説があり、正とすれば綱勝の父ということになる[3]

出典

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  1. ^ a b c 『西多摩郡名勝誌』, § 三田村.
  2. ^ a b c d e 『寛政重修諸家譜』, p. 12.
  3. ^ 中西 1982, p. 112.

参考文献

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  • 中西慶爾 編『青梅街道』木耳社、1982年。 
  • 東京府西多摩郡役所 編『西多摩郡名勝誌』西多摩名勝誌復刻協賛会、1985年。 
  • 寛政重修諸家譜』 9巻、高柳光寿(監修)、続群書類従完成会、1965年。ISBN 978-4-7971-0213-0