三浦為積
江戸時代後期の紀州藩家老
三浦 為積(みうら ためあつ)は、江戸時代後期の紀州藩家老。三浦長門守家第6代当主。官位は従五位下長門守。
時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 天明元年9月14日(1781年10月30日) |
死没 | 天保8年8月15日(1837年9月14日) |
改名 | 丈之助(幼名)→為積 |
戒名 | 金剛台院義巌恵雄大居士 |
墓所 | 了法寺(和歌山県和歌山市) |
官位 | 従五位下長門守 |
主君 | 徳川治貞→治宝 |
藩 | 紀州藩家老 |
氏族 | 三浦氏 |
父母 | 父:三浦為脩、母:植村家道の娘 |
妻 | 正室:安藤道紀の娘・真珠院 |
子 | 為章、藤次郎、欽之丞、鈴木皐吉、中之助、郁(安藤直則室)、美材(伊達正時室)、楠(金森良方室)、雅(角倉玄寧室)、他 |
生涯
編集天明元年(1781年)9月14日、紀州藩家老・三浦為脩の長男として紀伊国で生まれる。幼名は丈之助。寛政元年(1789年)1月15日に藩主・徳川治貞に初めて拝謁し、父の死去により同年10月に家督を相続する。
寛政6年(1794年)6月1日、藩主・徳川治宝に拝謁し、寛政8年(1796年)4月13日に治宝を烏帽子親として元服。寛政9年(1797年)には江戸に出府し、同年11月1日に第11代将軍・徳川家斉に拝謁。同年12月には従五位下長門守に任官。寛政10年(1798年)5月15日、紀州藩附家老を務める叔父・安藤道紀の娘と婚姻。
文化5年(1808年)、先祖である三浦義同と正木時忠の供養塔を正文寺(千葉県南房総市)に建立する。文化8年(1811年)4月22日に江戸赤坂伝馬町の屋敷を返上し、替地として四谷天龍寺前の牧野織部上地(780坪)を賜る。文化11年(1814年)6月10日に江戸出府を命ぜられ、同年中に江戸木挽町の寄合・榊原采女屋敷を拝領し、翌文化12年(1815年)4月15日に家斉・家慶父子に拝謁。文政3年(1820年)4月1日に紀州帰国の命を受け、同年4月28日に病を理由に隠居して家督を嫡男・為章に譲る。
系譜
編集脚注
編集参考文献
編集- 『三浦系図伝 完』(和歌山県立図書館所蔵)