三浦権太夫
幕末の武士
三浦 権太夫(みうら ごんたゆう、1838年 − 1868年)は、幕末の武士[1]。
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三浦権太夫地碑 |
概要
編集藩士三浦義武(よしたけ)の長男として天保8年12月20日に生まれる。藩儒学者・堀謙斎の元で学ぶ。
文久2年(1862年)に丹羽富穀の政治の方針を批判し、収監・謹慎された。権太夫は獄中から建白書を送ろうと試みたが、不成功に終わった。翌年、出獄を許されたものの自宅禁固処分のため、子弟を集めて教授をするしかなかった。
戊辰戦争で農兵司令を命じられ、参戦するが、自殺を試み、自刃しようとした時に流弾が当たった、また銃傷後に自刃したといわれている。
脚注
編集- ^ a b “藩随一の尊王義士 三浦権太夫義彰(みうらごんだゆうよしあき)”. www.city.nihonmatsu.lg.jp. 二本松市. 2024年1月24日閲覧。