三条実起
江戸時代中期から後期の公卿。従一位・右大臣。三条家27代
三条 実起(さんじょう さねおき)は、江戸時代中期から後期にかけての公卿。右大臣・三条季晴の子。母は彦根藩主井伊直定の娘・歌智。官位は従一位・右大臣。三条家27代当主。主に桃園天皇(116代)から光格天皇(119代)に亘って朝廷に仕えた。
時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 宝暦6年11月14日(1756年12月5日) |
死没 | 文政6年9月7日(1823年10月10日) |
別名 | 転法輪前右大臣、号:後暁心院 |
官位 | 従一位、右大臣 |
主君 | 桃園天皇→後桜町天皇→後桃園天皇→光格天皇 |
氏族 | 三条家 |
父母 | 父:三条季晴、母:歌智 |
兄弟 | 実起、武者小路実純、大炊御門家孝室 |
妻 | 美代 |
子 |
公修、押小路実茂、鹿園空晁、沖君 養子:胤麿ら |
経歴
編集宝暦7年(1757年)に従五位上に叙爵。その後清華家三条家の当主として昇進し、明和元年(1764年)には従三位に達して公卿に列する。左近衛中将・踏歌節会外弁・権中納言・権大納言などを歴任し、寛政4年(1792年)には右近衛大将・右馬寮監となる。寛政8年(1796年)に内大臣となるも翌年には辞した。
文化11年(1814年)に右大臣になるも同年中に辞す。その後は「転法輪前右大臣」と称された。文政6年(1823年)、薨去。享年68。
系譜
編集養子は二条治孝の子女数名。