三条実秀
江戸時代前期の公卿
三条 実秀(さんじょう さねひで)は、江戸時代前期の公卿。権大納言・三条公広の子。官位は従一位・左大臣。三条家20代当主。後陽成天皇(108代)から後西天皇(111代)までの四代に亘って仕えた。
時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長3年4月12日(1598年5月17日) |
死没 | 寛文11年8月25日(1671年9月27日) |
別名 | 号:己心院 |
墓所 | 右京区二尊院 |
官位 | 従一位、左大臣 |
主君 | 後陽成天皇→後水尾天皇→明正天皇→後光明天皇→後西天皇 |
氏族 | 三条家 |
父母 | 父:三条公広、母:正親町三条公仲の娘 |
妻 | 正室:日野資勝[1]の娘 |
子 | 公富、内藤義概継室 |
経歴
編集慶長9年(1604年)に叙爵してから累進し、元和元年(1615年)に左近衛中将となったのを機に元服した。元和5年(1619年)に従三位となり公卿に列する。その後も権中納言・権大納言・踏歌節会外弁などを歴任。慶安元年(1648年)に内大臣に任ぜられた。同年辞職。承応元年(1652年)から翌年にかけて右大臣を務めた。明暦3年(1657年)に従一位に叙せられ、万治3年(1660年)から翌年にかけて左大臣を務める。
長寿によって清華家の出世コースを順調にたどっていくことができた人物であった。
系譜
編集脚注
編集- ^ 権大納言