三条実冬

南北朝時代~室町時代前期の公卿。従一位・太政大臣。勅撰集『新続古今和歌集』に2首入集。三条家11代。

三条 実冬(さんじょう さねふゆ)は、南北朝時代から室町時代前期にかけての公卿内大臣三条公忠の子。官位従一位太政大臣

 
三条実冬
時代 南北朝時代 - 室町時代前期
生誕 文和3年閏10月10日1354年11月25日ユリウス暦))[1]
死没 応永18年閏10月17日1411年12月2日ユリウス暦))[1]
改名 実冬→常忠(法名)
別名 号:後三条
官位 従一位太政大臣
主君 後光厳天皇後円融天皇後小松天皇
氏族 三条家
父母 父:三条公忠
兄弟 厳子実冬、実苑、実禅
水無瀬具景の娘
公宣公冬
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官職歴

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  • 延文4年4月21日(1359年5月18日) - ? 侍従
  • 貞治2年正月28日(1363年2月12日) - ? 甲斐介
  • 貞治3年3月29日(1364年5月1日) - 応安8年2月7日(1375年3月9日) 左近衛権中将
  • 応安元年2月21日(1368年3月10日) - 応安3年11月(1370年12月) 下総権守
  • 応安8年2月7日(1375年3月9日) - 永徳元年7月23日(1381年8月13日) 権中納言
  • 永徳元年7月23日(1381年8月13日) - 応永2年12月27日(1396年2月6日) 権大納言
  • 応永2年正月28日(1395年2月18日) - 応永2年12月27日(1396年2月6日) 右近衛大将
  • 応永2年12月27日(1396年2月6日) - 応永3年12月(1397年1月) 左近衛大将
  • 応永2年12月27日(1396年2月6日) - 応永3年7月24日(1396年8月27日) 内大臣
  • 応永3年7月24日(1396年8月27日) - 応永6年2月22日(1399年3月29日) 右大臣
  • 応永6年2月22日(1399年3月29日) - 応永9年8月22日(1402年9月19日) 左大臣
  • 応永9年8月22日(1402年9月19日) - 応永14年2月6日(1407年3月15日) 太政大臣

位階歴

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  • 文和4年8月13日(1355年9月19日) 従五位下
  • 延文元年4月21日(1356年5月21日) 従五位上
  • 延文3年正月6日(1358年2月14日) 正五位下
  • 康安2年5月7日(1362年5月30日) 従四位下
  • 貞治2年7月29日(1363年9月7日) 従四位上
  • 貞治3年正月5日(1364年2月8日) 正四位下
  • 貞治6年正月5日(1367年2月4日) 従三位
  • 応安2年正月5日(1369年2月12日) 正三位
  • 応安6年12月26日(1374年2月7日) 従二位
  • 永徳3年正月5日(1383年2月7日) 正二位
  • 応永6年正月5日(1399年2月11日) 従一位

系譜

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  • 父:三条公忠(1324-1384)
  • 母:不詳
  • 妻:水無瀬具景の娘
  • 生母不明の子女
    • 男子:三条公宣

著作物

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  • 『実冬公記』[1]

脚注

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出典

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  1. ^ a b c 『日本人名大辞典+Plus』、講談社、2015年、「山上実冬」、コトバンク版、2020年6月15日閲覧。

参考文献

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