三木与吉郎 (11代)
11代 三木 与吉郎(みき よきちろう、1836年10月19日(天保7年9月10日[1])- 1908年(明治41年)6月21日)は、幕末・明治期の実業家、政治家。貴族院議員。俳人。名は順治(じゅんじ)、通称は与吉郎[1]。
三木 与吉郎 みき よきちろう | |
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生年月日 | 1836年10月19日 |
出生地 | 徳島県板野郡松茂町 |
没年月日 | 1908年6月21日(71歳没) |
所属政党 | 無所属 |
子女 | 長男・12代三木与吉郎(元衆議院議員、貴族院議員) |
親族 |
孫・三木與吉郎(元参議院議員) 曾孫・三木俊治(元徳島市長) |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1890年9月29日 - 1904年9月28日 |
年譜
編集[2]阿波国板野郡中喜来浦(現徳島県板野郡松茂町中喜来[1])出身。阿波国有数の藍商で豪商、9代与吉郎光治の3男として生まれる[1]。長兄正貢が早世し、次兄宇次郎の他出により[1]、成人して後、父より家督と「与吉郎」の名を譲られ藍商を営む。
1870年(明治3年)より1882年(明治15年)まで開拓使御用達として、北海道開拓や北海道における産業振興の一翼を担う。その後、徳島県会議員を歴任。1890年(明治23年)9月29日に貴族院多額納税者議員に就任[3][4]。また、1896年(明治29年)より阿波銀行初代頭取を兼職[5]。1904年(明治37年)9月28日、二期在任して貴族院多額納税者議員を勇退した[3]。
俳号は「芳桂(ほうけい)」。児玉逸淵、志倉西馬、八木芹舎らに学び、「芳桂句集」がある[6]。
脚注
編集参考文献
編集- 「三木順治」『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』衆議院・参議院編、大蔵省印刷局、1990年、222頁。
- 『歴代國会議員名鑑 上巻』議院制度研究会、1995年。
- 『徳島県人名事典 別冊』徳島新聞社、1994年。