三宅正意
三宅 正意(みやけ せいい、1845年5月14日(弘化2年4月9日[1]) - 1921年(大正10年)3月29日[2])は、明治から大正時代の政治家、銀行家。衆議院議員(1期)。
経歴
編集士族・三宅如雪の長男としてのちの宮崎県に生まれ、1871年(明治3年12月)家督を相続する[1]。私塾に学んだのち東臼杵郡書記を経て宮崎県属となった[2]。ほか、延岡銀行頭取、日州銀行、日州貯蓄銀行、宮崎農工銀行各取締役を歴任した[1][2]。
1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では宮崎県第3区から出馬し当選[2]。弥生倶楽部に所属し衆議院議員を1期務めた[2]。
脚注
編集- ^ a b c 人事興信所 1915, み22頁.
- ^ a b c d e 衆議院、参議院 編 1962, 482頁.
参考文献
編集- 人事興信所 編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年 。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年 。