三保 幹太郎(みほ かんたろう、1890年 - ?)とは、日産コンツェルンの創始者鮎川義介の懐刀で満州重工業開発理事や日本コロムビア社長などを歴任した実業家。広島県安芸郡仁保島村(現在の広島市南区仁保)出身。神戸一中を経て神戸高等商業学校を卒業。

1941年に建築された品川区西大井の私邸は志高荘と呼ばれ戦後は東芝会館として使われた。ジャズミュージシャンでカーレーサーの三保敬太郎の父親。脳溢血で死去。