ヴィーツェプスク

ベラルーシの都市
ヴィテプスクから転送)

ヴィーツェプスク[1]ベラルーシ語: Ві́цебск)は、ベラルーシ都市である。ポーランド語ロシア語ではヴィテプスクポーランド語: Witebskロシア語: Ви́тебск)と呼ばれる[2]ロシアおよびラトビアとの国境に近い。ヴィーツェプスク州の州都で、人口は36万人。

ヴィーツェプスク
Ві́цебск
市街風景
市街風景
ヴィーツェプスクの市旗 ヴィーツェプスクの市章
市旗 市章
位置
ヴィーツェプスクの位置の位置図
ヴィーツェプスクの位置
座標 : 北緯55度11分 東経30度10分 / 北緯55.183度 東経30.167度 / 55.183; 30.167
歴史
建設 974年
1929年
行政
 ベラルーシ
  ヴィーツェプスク州の旗 ヴィーツェプスク州
 地区 ヴィーツェプスク地区
 市 ヴィーツェプスク
地理
面積  
  市域 124,54 km2
標高 125 - 204 m
人口
人口 (2015年現在)
  市域 366,299人
    人口密度   2954人/km2
その他
等時帯 FET (UTC+3)
郵便番号 2100xx
市外局番 +375 212
ナンバープレート 2
旧市庁舎

歴史

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ヴィーツェプスクについての現存する最古の記録は1021年にさかのぼる。都市の公式の建立年は974年で、キエフ大公オリガの命により、クリヴィチ族の古い入植地のあった場所に建設された。

1320年リトアニア大公国に帰属。1569年ポーランド・リトアニア共和国領となった。1579年マクデブルク法における特許を得た。1772年、第1次ポーランド分割によってロシア帝国領となった。

帝政期にはユダヤ人コミュニティであるシュテットルが発達し、市の人口の半分は保守系ユダヤ人となった。

ロシア革命後、ベラルーシ人民共和国の一部となった時期を経て、1923年から1991年までソビエト連邦に属した。 1941年に始まった独ソ戦では、同年7月11日ドイツ国防軍の攻撃により陥落する憂き目にあっている[3]。 ベラルーシ共和国が独立すると、ヴィーツェプスクもその一部となった。

文化

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1992年より芸術祭「ヴィーツェプスク・スラヴャンスキー・バザール」が開催されている。ウクライナやロシアからも参加者が集う国際的な芸術祭として知られている。

交通

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トラム(ヴィーツェプスク市電)とトロリーバスが運行されている。

ギャラリー

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著名な出身者

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姉妹都市

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双子都市

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友好都市

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脚注

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  1. ^ ヴィツェプスクとも。
  2. ^ ロシア語名については、ヴィチェプスクとも表記される。
  3. ^ ソ連防衛線の最強部、突破される(『東京日日新聞』昭和16年7月14日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p395 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  4. ^ 『地球の歩き方 2014〜15 ロシア』ダイヤモンド・ビッグ社、2014年、470頁。ISBN 978-4-478-04581-7 
  5. ^ Яна Максимова: "Вверю в успех"” (ロシア語). Витьбичи (2010年5月13日). 2011年9月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月10日閲覧。

参考文献

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外部リンク

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