ヴィッテキント・ツー・ヴァルデック=ピルモント
ヴィッテキント・プリンツ・ツー・ヴァルデック・ウント・ピルモント(ドイツ語: Wittekind Prinz zu Waldeck und Pyrmont, 1936年3月9日 - 2024年12月16日)は、ドイツの旧諸侯ヴァルデック=ピルモント家の家長(1967年 - 2024年)。
ヴィッテキント Wittekind | |
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ヴァルデック=ピルモント家家長 | |
在位 | 1967年 - 2024年 |
全名 |
一覧参照
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出生 |
1936年3月9日 ドイツ国 ヘッセン=ナッサウ州バート・アーロルゼン |
死去 |
2024年12月16日(88歳没) |
配偶者 | ツェツィーリエ・フォン・ゴーエス=ザウラウ |
子女 |
カール・アントン ヨシアス ヨハンネス |
家名 | ヴァルデック=ピルモント家 |
父親 | ヨシアス |
母親 | アルトブルク |
宗教 | キリスト教ルーテル教会 |
経歴
編集ヴァルデック=ピルモント侯世子ヨシアスと、その妻のオルデンブルク大公女アルトブルク(フリードリヒ・アウグスト2世の五女)の間の長男(第4子)として生まれた。父がナチ党の親衛隊(SS)の将軍だったため、洗礼の代父はアドルフ・ヒトラーとハインリヒ・ヒムラーが務めた。フランクフルト・アム・マインとケルンで経営経済学を学んだ後、インターンシップを通して様々な職種を経験したほか、ドイツ空軍に所属して中佐まで昇進した。1967年の父の死に伴い、ヴァルデック侯家の家督を継承した。現在は、歴史的建造物や森林の保護のための活動に取り組んでいる。2001年8月9日、ヘッセン州首相ローラント・コッホよりドイツ連邦共和国功労勲章を授与された。
2024年12月16日の夜に死去。88歳没[1]。
結婚と子女
編集1988年にゴーエス=ザウラウ伯爵夫人ツェツィーリエと結婚した。同年4月1日にシュタイアーマルク州フローンライテンにおいて民事婚が、5月19日にアーロルゼンにおいて宗教婚が執り行われた。ツェツィーリエとの間に3男を儲けた。
- カール・アントン・クリスティアン・グスタフ・クレメンス・アレクサンダー(1991年 - )
- ヨシアス・クリスティアン・アレクサンダー(1993年 - )
- ヨハネス・エバーハルト・ヴィッテキント(1993年 - )
脚注
編集- ^ “Waldecker Land trauert um Wittekind Fürst zu Waldeck und Pyrmont” (ドイツ語). www.hna.de (2024年12月16日). 2024年12月17日閲覧。
参考文献
編集- Petropoulos, Jonathan (2006). Royals and the Reich: The Princes Von Hessen in Nazi Germany. Oxford University Press. pp. 265, 266. ISBN 0195161335.
先代 ヨシアス |
ヴァルデック家家長 1967年 - 2024年 |
次代 ― 推定相続人:カール・アントン |
上位 ゾフィー・ディアバッハ |
イギリス王位継承順位 (ジョージ2世の孫娘アウグスタの子孫) 他の英連邦王国の王位継承権も同様 |
下位 カール・アントン |