ヴィクトル・エロフェーエフ
ヴィクトル・ウラジミロヴィッチ・エロフェーエフ(露: Ви́ктор Влади́мирович Ерофе́ев; ラテン文字転写: Viktor Vladimirovich Yerofeyev, 又はErofeyev, 1947年9月19日-)[1]は、モスクワ生まれのロシアの作家、評論家[2]。ウラジーミル・ナボコフ、アンドレイ・ビートフの系譜に連なる前衛作家として、実験的手法を駆使している[1]。ソ連の高級外交官ウラジーミル・エロフェーエフの息子として、幼少期はパリに暮らしたので[3]、彼の作品の多くはロシア語からフランス語に多く翻訳され、英語への翻訳は数少ない。彼の父親は、1940年代後半はスターリンの通訳であり、回顧録を執筆している。彼の弟はトレチャコフ美術館のキュレーターである。
ヴィクトル・ウラジミロヴィッチ・エロフェーエフ Ви́ктор Влади́мирович Ерофе́ев Viktor Vladimirovich Yerofeyev | |
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ヴィクトル・エロフェーエフ、ベルリンにて、2023年3月3日 | |
誕生 |
1947年9月19日(77歳) ソビエト連邦, モスクワ |
国籍 | ロシア |
最終学歴 | モスクワ大学 |
ウィキポータル 文学 |
経歴
編集エロフェーエフはモスクワ大学で文学と言語学を学び、1970年に卒業した[3]。その後モスクワの世界文学研究所で研究生活を送り、1973年に大学院コースを修了、1975年にドストエフスキーとフランス実存主義に関する博士論文を提出し、博士号を取得した[3][注釈 1]。エロフェーエフの作品には、ドストエフスキーの作品や主題の模倣がしばしばみられる。
彼は文芸評論家となり、レフ・シェストフとマルキ・ド・サドに関する著作を出版した。後に自身の文芸雑誌『メトロポリ』を創刊し、そこにはワシリー・アクショーノフ、アンドレイ・ビートフ、ベーラ・アフマドゥーリナなど、ソヴィエトの高名な作家たちが参加した。この雑誌は地下出版で流通し、ソ連当局の検閲を逃れた。その結果、ソビエト連邦作家同盟から除名され、1988年にゴルバチョフ政権が誕生するまで発禁となった[2][3]。
1989年にウラジーミル・ナボコフの小説『ロリータ』がソ連で初めて出版された際、エロフェーエフは序文を書き[4]、芸術としての正当性を主張している[5]。1990年には、「社会の良心」「人生の教師」という責任を負わされたロシア文学のイデオロギーを解体し、文学そのものへ帰ろうという主張をした[2][6]。同年には幻想的で知的仕掛けに満ち、ロシアで初めてのポルノと評された『モスクワの美しいひと』が出版された[2][7][注釈 2]。この作品は各国の出版界で話題となり、多くの言語に翻訳された[8]。ペレストロイカ後に多くの作品を発表し、現代ロシアの前衛文学を率いるリーダーとなった[2][8]。
アルフレート・シュニトケの1992年初演オペラ『愚者との生活』は、エロフェーエフの同名の作品に基づいたもので[2][9][10][注釈 3]、彼は作曲家のために台本を書いている。この作品は1993年にアレクサンドル・ロゴシュキン監督による映画になった[3]。
2012年のフィンランドのドキュメンタリー映画『ロシアの放埓者』はエロフェーエフを中心にしたもので、彼の見た2012年ロシア大統領選挙に対する抗議活動の様子を描いている。
2013年10月3日、エロフェーエフはフランス政府からレジオンドヌール勲章シュヴァリエを授与された[11]。
エロフェーエフは2022年までモスクワに住み、ロシアのテレビにしばしば登場し、テレビチャンネル「文化」で彼自身の番組を持ち、モスクワの自由ラジオ局の常連ゲストだった。
2022年ロシアのウクライナ侵攻が起こると、彼は家族と共にロシアを脱出し、ドイツへ移住した[12]。
主要作品
編集- 馬鹿と暮らして («Жизнь с идиотом»; a collection of short stories; 1980)
- モスクワの美しいひと («Русская красавица»; 1990)
- 呪われた問題の迷宮にて («В лабиринте проклятых вопросов»; a collection of essays; 1996)
- 最後の審判 («Страшный суд»; 1996)
- 生の五つの川 («Пять рек жизни»; 1998)[3]
- Encyclopaedia of the Russian Soul («Энциклопедия русской души»; 1999)
- Men («Мужчины»; 1997; in Russian) and God X («Бог X. Рассказы о любви»; 2001)
- The Good Stalin («Хороший Сталин»; 2004)
日本語に翻訳された作品
編集- ヴィクトル・エロフェーエフ著; 千種堅訳『モスクワの美しいひと』河出書房新社、1992年6月 ISBN 4-309-20184-9
- ヴィクトル・エロフェーエフ著; 沼野充義訳「馬鹿と暮らして」『ヌマヌマ : はまったら抜けだせない現代ロシア小説傑作選』河出書房新社 2021年 所収 ISBN 978-4-309-20840-4
評論活動
編集エロフェーエフは『タイムズ文芸付録』『ザ・ニューヨーカー』『ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス』『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』各誌に定期的に記事を寄稿している。ドイツの新聞『ディ・ヴェルト』への投稿もある。
- Viktor Jerofejew, "Putins Russland hat ein Image-Problem" (Die Welt, 13 February 2007)
脚注
編集注釈
編集- ^ 岩本1999によると、修士号取得となっている。
- ^ 『ロシアの美女』(岩本1999)、『モスクワべっぴん奇譚』(出版ニュース. 1585号)などの訳もある。
- ^ クラシック音楽作品名辞典では「ある阿呆との生活」、浦書評(1995)では「狂気との生活」、沼野訳では「馬鹿と暮らして」となっている。
脚注
編集- ^ a b 『集英社世界文学大事典. 1』集英社、1996年、522頁。ISBN 4-08-143001-2。
- ^ a b c d e f 『ヌマヌマ : はまったら抜けだせない現代ロシア小説傑作選』河出書房新社、2021年10月、234-235頁。ISBN 978-4-309-20840-4。
- ^ a b c d e f 岩本和久 (1999-03-31). “ヴィクトル・エロフェーエフ『生の五つの川』(旧ソ連・東欧諸国の20世紀文化を考える)”. スラブ研究センター研究報告シリーズ (64): 92 .
- ^ 沼野充義 (1993-06). “ロシア文学は一つになったのか?――亡命文学の再評価に向けて”. 窓 (85): 8 .
- ^ 和田美香 (1998-03). “『ロリータ』における視線の諸相”. ロシア文化研究 (5): 95 .
- ^ 浦雅春 (1994-03). “ペレストロイカと「雪解け」”. ロシア研究 (18): 85-86 .
- ^ 井桁貞義 (2000-05). “海外文学はいま-ロシア 現代ロシア文学--<死と再生>をめぐって”. 民主文学 (415): 121 .
- ^ a b ヴィクトル・エロフェーエフ;千種堅訳『モスクワの美しいひと』河出書房新社、1992年6月、カバー裏頁。ISBN 4-309-20184-9。
- ^ 『クラシック音楽作品名辞典(改訂版)』三省堂、1996年12月、291頁。ISBN 4-385-13547-9。
- ^ 浦雅春 (1995-03). “≪書評≫ 岩田貴著『街頭のスペクタクル』”. ロシア文化研究 (2): 138 .
- ^ “Виктор Ерофеев получил главную французскую награду”. Lenta.ru. (4 October 2013)
- ^ “Moskau – Berlin, Tagebuch einer neuen Kriegszeit – Meine Flucht aus dem Totenhaus: Wie man Russland über einen langen Umweg und mit schwerem Gepäck verlässt” (ドイツ語). Frankfurter Allgemeine Zeitung. (2022年5月2日). オリジナルの2022年10月20日時点におけるアーカイブ。 2022年5月2日閲覧。
参考文献
編集- Andrew Reynolds, "East is East...? Victor Erofeyev and the Poetics/Politics of Idiocy."
Reynolds is the translator of Life with an Idiot, first published by Penguin in English in 2004. ISBN 0-14-023621-X.