ロッシー・モレノ
ロッシー・モレノ(Rossy Moreno、1965年10月17日 - )は、メキシコの女子プロレスラー。本名・マリア・デル・ロシオ・モレノ・レオン。
ロッシー・モレノ | |
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プロフィール | |
リングネーム | ロッシー・モレノ |
本名 | マリア・デル・ロシオ・モレノ・レオン[1] |
身長 | 164cm[1] |
体重 | 65kg[1] |
誕生日 | 1965年10月17日(59歳)[1] |
出身地 | メキシコ・メキシコシティ[1] |
トレーナー | アルフォンソ・モレノ[1] |
デビュー | 1978年[1] |
父は元レスラーでアレナ・アステカ・ブドーカンのプロモーターだったアルフォンソ・モレノ。3人の妹であるエステル、シンティア、アルダもルチャドーラで、弟(シンティアとアルダの間)もオリエンタルのリングネームでルチャドール。ドクトル・ワグナー・ジュニアは元夫で、その間に息子のイホ・デル・ドクトル・ワグナーがいる[1]。もう1人の息子はガレノ・デル・マル。
経歴
編集父からルチャの基礎を学び、1978年にネッサワルコヨでデビュー[1]。
1982年には、メキシコ州のタイトルであるエスタド・デ・メヒコ王座を獲得[1]。
以降は、LLIを主戦場として、1985年に全日本女子プロレスで初来日。ジャガー横田が持つUWA世界女子王座にも挑戦した。
1986年、ジャパン女子プロレス旗揚げに参加。8月17日の旗揚げ戦では風間ルミのデビュー戦の相手を務めた。ジャパン女子には妹エステルも留学生として加わっている。
帰国後、CMLLで活動した後、ドクトル・ワグナー・ジュニアと結婚して2児の母となるが、離婚[1]。
その後AAAで復帰。ソチ浜田との抗争やシンティアとの姉妹対決などルーダとして活躍する[1]。2000年に開かれた第2回「レイナ・デ・レイナス」で優勝も飾る。
現在はフリーとしてメキシコのみならず米国にも進出している[1]。
得意技
編集タイトル歴
編集- エスタド・デ・メヒコ王座
- レイナ・デ・レイナス王座