ロスチスラフ・フセヴォロドヴィチ
ロスチスラフ・フセヴォロドヴィチ(ロシア語: Ростислав Всеволодович、1070年 - 1093年)は、キエフ大公フセヴォロドの末の息子(ウラジーミル・モノマフの弟)である。ペレヤスラヴリ公:1078年 - 1093年。
ロスチスラフ・フセヴォロドヴィチ Ростислав Всеволодович | |
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ペレヤスラヴリ公 | |
在位 | 1078年 - 1093年 |
出生 |
1070年 |
死去 |
1093年 |
家名 | リューリク家 |
父親 | キエフ大公フセヴォロド |
母親 | アンナ・ポロヴェツカヤ |
生涯
編集1078年、伯父のキエフ大公・イジャスラフがチェルニゴフ付近の戦い(ru)で戦死すると、父がキエフ大公位を継いだ。兄のモノマフはチェルニゴフ公となり、ロスチスラフは兄と共にペレヤスラヴリ公国領を統治した。また、テュルク系ポロヴェツ族との戦いに参加した。
父のフセヴォロドは晩年病に倒れるが、その時にポロヴェツ族による新たな襲撃がはじまった。1093年、フセヴォロドが病死するとキエフ大公位はトゥーロフ公スヴャトポルクのものとなった。ロスチスラフはスヴャトポルク、モノマフらと共にステューフナ川の戦い(ru)に参加するがポロヴェツ族に敗北し、退却の際に溺死した。
参考文献
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