ルーベンス、妻エレーヌ・フールマンと息子フランス

ルーベンス、妻エレーヌ・フールマンと息子フランス』(ルーベンス、つまエレーヌ・フールマンとむすこフランス、: Rubens, Helena Fourment en hun zoon Frans, : Rubens, Helena Fourment, and Their Son Frans)は、バロック期のフランドルの巨匠ピーテル・パウル・ルーベンスが1630年代中-後期に板上に油彩で制作した絵画で、ルーベンスと2番目の妻エレーヌ・フールマン、および2人の子供の1人フランス (Frans) を描いた肖像画である[1][2][3]チャールズ・ライツマン英語版夫妻により1981年に寄贈されて以来[1][2]ニューヨークメトロポリタン美術館に所蔵されている[1][2][3]

『ルーベンス、妻のエレーヌ・フールマンと息子フランス』
オランダ語: Rubens, Helena Fourment en hun zoon Frans
英語: Rubens, Helena Fourment, and Their Son Frans
作者ピーテル・パウル・ルーベンス
製作年1630年代中-後期
種類板上に油彩
寸法203.8 cm × 158.1 cm (80.2 in × 62.2 in)
所蔵メトロポリタン美術館ニューヨーク

作品

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1630年12月6日、53歳であったルーベンスは16歳のエレーヌ・フールマンと結婚した[3]。彼女は、ルーベンスの古い友人で、アントウェルペンで絹とタピスリーを扱っていた富裕な商人ダニエル・フールマンの11人の子供たちの末っ子であった。美しい妻エレーヌと結婚したルーベンスの幸福について物語る多くの文書および絵画の記録が残っている。彼女は、ルーベンスの1630年代以降の多くの絵画において女神と理想の女性像のインスピレーションとなった[3]

ルーベンスとエレーヌの間には5人の子供が生まれたが、本作に描かれているのは1633年7月12日に生まれた第2子の長男で、ルーベンスの全財産を相続する跡継ぎのフランスであると思われる[1][2][3]。描かれているのは、1630年12月6日に生まれた第1子の長女クララ・ジョアンナ (Clara Joanna) であると推測する研究者も多いが、ルーベンスとエレーヌの服装と明らかな年齢、および絵画の様式は1630年代半ばの制作を示唆する。したがって子供はフランスで、絵画の制作時期は1635年頃であろう[3]

本作で、ルーベンスは、アントウェルペンの自宅の背後にあった庭園を思わせる場所で妻のエレーヌを連れて歩いている[3]。絵画の主人公は妻、母としてのエレーヌで、彼女の最も重要な功績はルーベンスの息子フランスを生んだことであった[1][2][3]。エレーヌに焦点が合わされていることは、ルーベンスとフランスの、彼女への賞賛の視線と身振りによって強調されている。場所は「愛の園」であり、描かれているカリアティード (女像柱) と噴水同様、豊穣を示唆する[3]。画面上部右端に登場するオウム聖母マリア、すなわち理想的な母性を象徴する[1][2]

ギャラリー

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脚注

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  1. ^ a b c d e f ルーベンス、妻のヘレナ・フォーメント(1614–1673年)とその子供のひとり”. メトロポリタン美術館公式サイト (日本語). 2024年7月1日閲覧。
  2. ^ a b c d e f メトロポリタン美術館ガイド 2012年、259頁。
  3. ^ a b c d e f g h i Rubens, Helena Fourment, and Their Son Frans”. Web Gallery of Artサイト (英語). 2024年7月1日閲覧。

参考文献

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  • マーク・ポリゾッティ発行人兼編集責任者『メトロポリタン美術館ガイド』、メトロポリタン美術館、2012年刊行 ISBN 978-4-904206-20-1

外部リンク

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