ルイ (ジョワイユーズ公)
ルイ・ド・ロレーヌ=ギーズ(Louis de Lorraine-Guise, 1622年1月11日 - 1654年9月27日)は、フランスの上級貴族ギーズ公爵家の一員で、ジョワイユーズ公爵およびアングレーム公爵。ギーズ公シャルルとその妻のアンリエット・カトリーヌ・ド・ジョワイユーズの間の息子の1人[1]。ギーズ公アンリ2世、ギーズ女公マリーの弟。
ルイ・ド・ロレーヌ=ギーズ Louis de Lorraine-Guise | |
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ジョワイユーズ公 アングレーム公 | |
出生 |
1622年1月11日 |
死去 |
1654年9月27日(32歳没) |
配偶者 | アングレーム女公フランソワーズ・ド・ヴァロワ |
子女 |
ルイ・ジョゼフ カトリーヌ・アンリエット |
家名 | ギーズ家 |
父親 | ギーズ公シャルル |
母親 | アンリエット・カトリーヌ・ド・ジョワイユーズ |
生涯
編集父がリシュリュー枢機卿との政争に敗れて亡命したため、イタリアのフィレンツェで育った。1644年、家族と共に帰国を許されて間もなく王室侍従長(Grand chambellan de France)の地位を与えられた[2]。ルイ14世の母后アンヌ・ドートリッシュの摂政政府は1647年、ルイに没収されていた所領を返還すると共に、ルイが母方から相続することになっていたジョワイユーズ公爵位を承認した。軽騎兵連隊を自費で組織し、1644年のグラヴリーヌ包囲戦などの軍事行動に参加したが、アラスの戦いの最中の1654年4月22日に右腕を負傷し、その怪我が元で半年後に死去した[3]。
1649年11月3日、トゥーロンにおいてアングレーム公ルイ・エマニュエル(シャルル9世の庶系の孫)の一人娘で相続人のフランソワーズ・ド・ヴァロワ(1631年 - 1696年)と結婚した[4]。フランソワーズは精神を病んでおり[4]、結婚後数年でエセイ(現在のブルゴーニュ地域圏コート=ドール県)の女子修道院に幽閉された。ルイは1653年に義父からアングレーム公爵位を相続すると同時に、ラ・ギーシュ公爵位(Duc de la Guiche)をも授けられたが、後者はルイの死と同時に廃された。息子ルイ・ジョゼフはジョワイユーズ公位を継承、アンリ2世亡き後のギーズ公位も獲得した。
子女
編集- ルイ・ジョゼフ(1650年 - 1671年) - ジョワイユーズ公、ギーズ公。エリザベート・マルグリット・ドルレアンと結婚[1]。
- カトリーヌ・アンリエット(1651年 - 1656年)[5]
脚注
編集- ^ a b Ward, Prothero & Leathes 1911, table 29.
- ^ Spangler 2016, p. 144.
- ^ Spangler 2009, p. 68.
- ^ a b Spangler 2009, p. 159.
- ^ Spangler 2016, p. 272.
参考文献
編集- Spangler, Jonathan (2009). The Society of Princes: The Lorraine-Guise and the Conservation of Power and Wealth in Seventeenth-Century France. Ashgate
- Spangler, Jonathan (2016). “Mother Knows Best:The Dowager Duchess of Guise, a Son's Ambitions, and the Regencies of Marie de Medici and Anne of Austria”. Aspiration, Representation and Memory: The Guise in Europe, 1506–1688. Routledge. p. 125-146
- The Cambridge Modern History. XIII:Genealogical Tables and Lists. Cambridge at the University Press. (1911)
- Fériel, Jules (1835). Notes historiques sur la ville et les seigneurs de Joinville. Paris: Ladrange. pp. 137, 144-146
- Bibliothèque nationale de France, mss. Dossiers bleus, "Lorraine", 403, fol. 25
関連項目
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