リーガ・エスパニョーラ1983-1984
リーガ・エスパニョーラ1983-1984(1983–84 La Liga)は、リーガ・エスパニョーラの第53回目のシーズンである。
シーズン | 1983-84 |
---|---|
優勝 | アスレティック・ビルバオ (8回目) |
降格 |
カディス マヨルカ サラマンカ |
UCC出場 | アスレティック・ビルバオ |
UCWC出場 | バルセロナ |
UEFAカップ出場 |
レアル・マドリード アトレティコ・マドリード ベティス バジャドリード |
試合数 | 306 |
ゴール数 | 782 (1試合平均2.56) |
得点王 |
ホルヘ・ダ・シルバ フアニート (17得点) |
← 1982-83 1984-85 → |
これは、1983年9月3日から、1984年4月29日までの期間で開催された。前期に続いて、アスレティック・ビルバオが優勝した。また、同チームは、国王杯(コパ・デル・レイ, Copa del Rey, )においても優勝した。
経過
編集このシーズンは、前回と同じような展開になり、最終戦は、アスレチック・ビルバオとレアル・マドリードのトップ争いと、FCバルセロナが、それを追うという形になった。
このシーズンの準備では、それまでの3年間に優勝した2チームは、地元出身者で構成したものであったので、他のチームも、傘下のチームから、スカウトする傾向があった。例えば、レアル・マドリードでは、後に「ハゲタカ同期生」と呼ばれるようになる数人の優秀選手が加わった。この名は、その内の代表的存在のエミリオ・ブトラゲーニョ(後述)が、その姓が、「ブイトレ」(ハゲタカ)の名に似ており、あだ名を付けられたことに由来する。
当初は、3者が並んだ状態で進行した。最初の注目された試合は、FCバルセロナ対アスレティック・ビルバオ戦で、4対0となった。しかし、この試合で、アスレチックのゴイコエチェア(アンドニ・ゴイコエチェア・オラスコアガ)が、マラドーナ(ディエゴ・マラドーナ)に重傷を負わせる反則をした。これにより、マラドーナは休場3か月となった。一方、ゴイコエチェアは、18試合の出場停止となったが、後にこれは7試合と軽減された。
この出来事により、アスレティック・ビルバオは、数週間、不安定な時期を通過した。リーグは、混戦模様の時期を経たのち、前半期終了時には、レアル・マドリードが首位で、1ポイント差でアスレティック・ビルバオ、4位がFCバルセロナとなった。
後半期は、アスレティック・ビルバオは好調なスタートであったが、リーグ全体で油断が許されない状況であった。しかし、最終的にアスレティック・ビルバオとレアル・マドリードが同ポイントとなり、優勝決定は、最終日に持ちこまれた。3位は、FCバルセロナが付けていた。
最終日
編集最終日は、優勝を期しての3つの上位チームの、それぞれ3試合が、同時進行で行われ、劇的な展開となった。
アスレティック・ビルバオは、地元サン・マメス・サッカー場で、レアル・ソシエダとの対戦。一方、レアル・マドリードは、RCDエスパニョルの地元サリア・サッカー場(エスタディ・デ・サリア)で対戦。また、FCバルセロナは、アトレティコ・マドリードと、その地元カルデロン・サッカ—場での対戦となった。
アスレティック・ビルバオ戦では、リセランス(ヘスス・イニゴ・リセランス)選手が18分に1ゴール。FCバルセロナ戦では、カラスコ(フランシスコ・ホセ・カラスコ)選手が先制点。レアル・マドリードは、オレフエラ選手が1ゴール。3強豪は、それぞれに、得点を獲得した。
しかし、アスレティック・ビルバオ戦では、68分、レアル・ソシエダのウラルデ選手により、1対1。この時点での計算では、FCバルセロナが首位。ところが、その2分後に、レアル・マドリードがエミリオ・ブトラゲーニョ選手により同点ゴール。この時点で、3試合が同点の状態となり、これは、勝ち試合数で勝っていたレアル・マドリードに有利な状況になった。
この状態が10分続いたが、アスレティック・ビルバオ戦では、79分時に、リセランス選手のヘッディングシュートが決まり、2対1の決定的結果となった。
これにより、アスレティック・ビルバオが再びリーグの優勝チームとなり、レアル・マドリード2位、FCバルセロナ3位、アトレティコ・マドリードは4位となった。
所属クラブ
編集順位表
編集順 | チーム | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 点 | 出場権または降格 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | アスレティック・ビルバオ (C) | 34 | 20 | 9 | 5 | 53 | 30 | +23 | 49 | チャンピオンズカップ 1回戦出場 |
2 | レアル・マドリード | 34 | 22 | 5 | 7 | 59 | 37 | +22 | 49 | UEFAカップ 1回戦出場 |
3 | バルセロナ | 34 | 20 | 8 | 6 | 62 | 28 | +34 | 48 | カップウィナーズカップ 1回戦出場 |
4 | アトレティコ・マドリード | 34 | 17 | 8 | 9 | 53 | 47 | +6 | 42 | UEFAカップ 1回戦出場 |
5 | レアル・ベティス | 34 | 17 | 4 | 13 | 45 | 40 | +5 | 38 | |
6 | レアル・ソシエダ | 34 | 14 | 9 | 11 | 43 | 35 | +8 | 37 | |
7 | サラゴサ | 34 | 12 | 11 | 11 | 50 | 41 | +9 | 35 | |
8 | セビージャ | 34 | 13 | 8 | 13 | 42 | 43 | −1 | 34 | |
9 | マラガ | 34 | 11 | 11 | 12 | 41 | 35 | +6 | 33 | |
10 | エスパニョール | 34 | 10 | 13 | 11 | 42 | 44 | −2 | 33 | |
11 | ムルシア | 34 | 10 | 12 | 12 | 42 | 38 | +4 | 32 | |
12 | バレンシア | 34 | 12 | 8 | 14 | 45 | 47 | −2 | 32 | |
13 | スポルティング・ヒホン | 34 | 11 | 8 | 15 | 38 | 47 | −9 | 30 | |
14 | バジャドリード | 34 | 11 | 7 | 16 | 44 | 60 | −16 | 29 | UEFAカップ 1回戦出場 |
15 | オサスナ | 34 | 11 | 6 | 17 | 30 | 44 | −14 | 28 | |
16 | カディス (R) | 34 | 6 | 10 | 18 | 36 | 51 | −15 | 22 | セグンダ・ディビシオン降格 |
17 | マヨルカ (R) | 34 | 3 | 15 | 16 | 27 | 56 | −29 | 21 | |
18 | サラマンカ (R) | 34 | 5 | 10 | 19 | 30 | 59 | −29 | 20 |
表彰
編集ピチーチ賞
編集# | 国籍 | 選手 | 所属クラブ | ゴール数 |
---|---|---|---|---|
1 | ホルヘ・ダ・シルバ | バジャドリード | 17 | |
フアニート | レアル・マドリード | |||
3 | マヒコ・ゴンサレス | カディス | 14 | |
4 | サンティリャーナ | レアル・マドリード | 13 | |
5 | ウーゴ・サンチェス | アトレティコ・マドリード | 12 | |
マルコス・アロンソ | バルセロナ | |||
ロペス・ウファルテ | レアル・ソシエダ | |||
8 | ラウル・アマリージャ | レアル・サラゴサ | 11 | |
パシ・イリギーベル | オサスナ | |||
ホセ・ロベルト・フィゲロア | ムルシア |
サモラ賞
編集# | 国籍 | 選手 | 所属クラブ | 失点 | 失点率 |
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1 | ウルティ | バルセロナ | 26 | 0.78 | |
2 | ミゲル・アンヘル | レアル・マドリード | 24 | 0.85 | |
3 | アンドニ・スビサレッタ | アスレティック・ビルバオ | 30 | 0.88 | |
4 | フェルナンド・ペラルタ | マラガ | 35 | 1.02 | |
5 | ルイス・アルコナーダ | レアル・ソシエダ | 30 | 1.07 |
外部リンク
編集- リーガ・エスパニョーラ1983-1984 - BDFutbol