リチャード・P・リアリー
アメリカ海軍の軍人 (1842 - 1901)
リチャード・フィリップス・リアリー(英語: Richard Phillips Leary 1842年11月3日 – 1901年12月27日)は、アメリカ海軍の軍人。
リチャード・P・リアリー Richard P. Leary | |
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生誕 |
1842年11月3日 アメリカ合衆国 メリーランド州 ボルティモア |
死没 |
1901年12月27日 (59歳没) アメリカ合衆国 マサチューセッツ州 チェルシー |
所属組織 | アメリカ海軍 |
軍歴 | 1860年 - 1901年 |
最終階級 | 海軍少将 |
略歴
編集ボルティモア生まれ。1860年、海軍兵学校に入学。南北戦争中はスクリュー戦闘スループカナンデーグアやモニター艦サンガモンに乗り組み、大西洋の封鎖に参加。
サモア危機においては、サモアで砲艦アダムズを指揮した。米西戦争では、防護巡洋艦サンフランシスコ艦長としてキューバ沖で哨戒活動に当たった。戦勝後、パリ条約により割譲されたばかりのグアム島の知事を務めた。
1901年に死去。
関連項目
編集- リチャード・P・リアリー (駆逐艦) - フレッチャー級駆逐艦。艦名はリチャード・フィリップス・リアリーに因む。レイテ沖海戦のスリガオ海峡海戦に参戦し、戦艦山城撃沈に貢献した。戦後、海上自衛隊に貸与され護衛艦ゆうぐれ(DD-184)として就役。
参考
編集- この記事はアメリカ合衆国政府の著作物であるDictionary of American Naval Fighting Shipsに由来する文章を含んでいます。 記事はここで閲覧できます。
外部リンク
編集- Richard P. Leary Papers, 1860–1905 MS 404 held by Special Collections & Archives, Nimitz Library at the United States Naval Academy
軍職 | ||
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先代 ルイス・A・カイザー |
グアム海軍知事 1899年–1900年 |
次代 ウィリアム・エドウィン・サフォード (代理) |