モニター艦(モニターかん[1]Monitor)、あるいはモニターモニトル[2][3]とは軍艦の一種で、比較的小型で低乾舷の船体に[注釈 1][注釈 2]、相対的に大口径の主砲砲塔式に搭載した装甲艦を指す[6][注釈 3]。 広義の砲艦ともいえる[8][注釈 4]。 基本設計に着目した分類であるため、性能や用途は艦によって異なる。モニターの語は、最初期の例である南北戦争時のアメリカ合衆国(北軍)軍艦「モニター[10]の艦名に由来する。

大きく分けると、沿岸や内水域での対艦戦闘を目的としたものと、対地攻撃を目的とした特殊艦艇に分類することができる。いずれも乾舷が低く航洋性能が乏しい傾向があり、移動砲台や浮き砲台的な性格を持つ点で共通する[注釈 5][注釈 6]。 用途に着目すると海防戦艦[13]海防艦)の一形態とも見ることができる[14][注釈 1][注釈 7]。 歴史的には回転砲塔艦英語版 (Turret ship) から[16][注釈 8]ブレストワーク・モニターと発展し[18]前弩級戦艦への道を開いた。

目的別の歴史的経過

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対艦戦闘を目的としたモニター艦

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アメリカ海軍の「モニター」
 
「モニター」の断面図。
 
ペルー海軍からチリ海軍鹵獲した「ワスカル」。典型的ではないがモニター艦に分類される場合がある。
 
スウェーデン海軍の「ジョン・エリクソン
 
米西戦争マタンサスに艦砲射撃をおこなう「ピューリタン」。

北アメリカ大陸における南北戦争において、スウェーデンの技師ジョン・エリクソンアメリカ合衆国海軍(北軍)のために船体中央に砲塔を備えた装甲艦を開発した[19]。これは軍艦に砲塔が搭載された最初期の例であった[注釈 9][注釈 10]。 この「モニター (USS Monitor) 」が、一般に歴史上最初のモニター艦だと言われる[注釈 11]。 また、近代的な軍艦(装甲艦)の起源とされる事もある[注釈 12]。 なおアメリカ連合国アメリカ連合国海軍(南軍)が中央砲郭艦バージニア (CSS Virginia) 」を運用しており、北軍の「モニター (USS Monitor) 」とハンプトン・ローズ海戦を繰り広げた[10]。これが世界最初の装甲艦同士の海戦であった[2][注釈 13]

南北戦争で一定の成功を収めたことをきっかけに、建造費用のわりに強力な沿岸防衛用軍艦としてモニター艦は世界に広まった[注釈 14]。これらのモニター艦に共通する特徴としては、強力な主砲塔と装甲のほかに、マストなどの帆走設備を持たないことと、極端に低い乾舷としていることである[22][注釈 15]。長期航海を想定しないことで、石炭搭載量を減少し、乗組員の消耗品や居住空間を削ったため、小型の船体を実現できたのである[注釈 6]。この特徴は、砲塔の射界を確保して少数の大口径砲で高い攻撃力を実現し、標的面積を減少させ、装甲を集中することで防御力も向上できた[12]。従来の軍艦(帆船、装甲艦)は舷側に多数の大砲を設置しており、船体の向きを変えなければ火力を投射できなかった。だがモニター艦は回転式砲塔を装備しており、船体の向きを変えずに主砲を発射できるという画期的な設計であった[16]

当時実用化されていた艦船用の最新動力は蒸気レシプロエンジンであった。しかし、直立シリンダー形では低いシルエットと重心を得ることは難しく、さりとて、水平形で推進軸を船体中心線付近とするには配置と重量の左右不均衡を招く。そこで左右対称の構造で、ピストンの両側にコネクティングロッド(コンロッド)を持つ水平還動式の「トランクエンジン」に着目し、これを改良することとなった。トランクエンジンはピストン棒が無く小型化には適するが、コンロッドの動作角度の制限(トランク径の限界)から大きなストローク(大きな軸トルク)が得られない欠点があった。そこで、エリクソンはコンロッドをクランクに直付けすることを止め、の両端に長短2本のレバー(てこ棒)を持つレバー軸を新たに設け、短いレバーにピストンからのコンロッドを連結し、長いレバーでストロークを増幅した上でクランクを回すレイアウトを考案した。このレバー軸はトランクエンジンを挟んで左右に1組ずつあり、左右の長いレバーからのコンロッドが中央のクランクでつながるため左右対称となり、船体中心線上への配置と低い甲板の両立が可能となり、さらに必要なトルクも確保できるようになった。これはバイブレーティングレバーエンジンと呼ばれる。

一方、低く小さな船体は、燃料用石炭の搭載限界による航続力の低下、低速力、居住環境の悪化、耐波性の低下という負の要素をもたらした。作業・滞在空間の不足を補うためには、砲塔上や甲板にテントを張ることがよく行われたが、不便は否めなかった。このデメリットはモニター艦の利点と表裏一体であり、自国の根拠地や沿岸防御に用いる分には、問題なしとみなされた[12]。それでも、海難事故を生じる原因となった。またモニター艦を敵国海岸への対地砲撃や要港封鎖など攻勢的任務に投入しようと意図した場合、ある程度の速力や航洋性も求められるようになった[23]

イギリスでは、エドワード・リード卿がモニター艦の航洋性を向上させたブレストワーク・モニターを建造した[注釈 11]。これは船体中央部にブレストワーク(breastwork、胸壁の意)と称する上部構造物を載せ、その上に砲塔を配置した改良型モニター艦である(ブレストワーク・モニター艦の一覧)。上甲板に砲塔設置用の開口部を持たないため、船体の水密性が高まり、作業・居住空間が広がるメリットがあった。その代わり、被弾しやすいブレストワーク部には強力な装甲を施す必要が生じ、重量増加や重心上昇を招くデメリットもあった。オーストラリア向けに建造された「サーベラス」が代表例である。 1870年にイギリス海軍の砲塔装甲艦「キャプテン」がコールズ大佐と共に沈没し、設計を見直す[注釈 16]。 この試行錯誤を経て、外洋航行能力をもつデヴァステーション級装甲艦が就役した[注釈 10]。さらに城塞式装甲 (Armored citadel) を備えた砲塔装甲艦「インフレキシブル」を完成させ[24]、最終的にはロイヤル・サブリン級戦艦(世界最初の前弩級戦艦)へと発展した[25]

このように急激な技術発展が進む中で、19世紀末には早くもエリクソンが建造したような航洋性のないモニター艦は建造されなくなった。砲戦距離が伸び、砲弾の落下角度が増大したことは、低乾舷が有していた標的面積減少のメリットを失わせた。また1870年代後半には魚雷を装備した水雷艇が出現した[26][27]。水雷艇を排除するには小口径の速射砲装備が不可欠であり、モニター艦にはそのような改良の余地が乏しかった。さらに機関技術の進歩は、航洋型の軍艦でも帆走設備を縮小・廃止できる状況を生み、既に回転砲塔艦(改良型モニター)と従来型装甲艦を組み合わせた前弩級戦艦へと発展しつつあったのである(前述)。モニター艦が持っていた「小さな装甲船体に、相対的に強力な火砲」という性格は、海防艦[28]海防戦艦)という艦種に継承されていく[11][注釈 17]

対地攻撃を目的としたモニター艦

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イギリス海軍の「マーシャル・ネイ
 
イギリス海軍の「ロード・クライブ」。艦前部に12インチ主砲塔、艦後部に固定式18インチ砲を装備した。
 
記念艦となったイギリス海軍の「M33」(1915年就役)。

以上のような対艦戦闘用の系列とは別に、第一次世界大戦の頃に出現した対地攻撃用の浮き砲台がある[注釈 18]。 これはイギリス海軍が、陸上部隊の火力支援任務のために、戦艦装甲巡洋艦の砲塔を流用した特殊艦艇である。建造の背景には、地上砲撃という戦術上の必要性のほかに、建造中止艦や[注釈 19]、旧式艦の余剰砲塔の有効活用という意図もあったと言われる[注釈 20]。イギリス海軍では35隻が建造された[30]イタリア王立海軍でも建造中止となったフランチェスコ・カラッチョロ級戦艦の主砲を利用して数隻を建造している。

この種の艦艇は、沿岸用なので喫水が浅く比較的乾舷が低い点や、強力な主砲塔を持つ点で、従来のモニター艦の系譜といえる[31]。そのため喫水の深い大型航洋艦(戦艦など)よりも海岸に迫って大口径砲による砲撃を加えることが可能で、ドーバーパトロールや、ガリポリの戦いで活躍した[32]。一部の艦では、安定性を確保するため船体両舷に対魚雷バルジ英語版を装備している[注釈 21]。通常の海軍艦艇の防禦方式魚雷隔壁)よりも、浮力確保やダメージコントロールがしやすいという副次効果があり、実際にエレバス級モニター2隻はドイツ帝国海軍魚雷艇自爆ボートによって被雷した際に、バルジのおかげて沈没を免れた[注釈 22]

ただし大口径の主砲は持つものの、通常の水上戦闘艦と交戦するのには適しない。なぜなら、水上戦闘用のモニター艦が廃れたように、速射砲ではない少数の砲では遠距離の高速移動目標への命中は期待しがたいうえ、速力も極めて低速なためである。第一次世界大戦のイムブロス島沖海戦においてイギリス海軍のモニター艦「ラグラン」と「M28」は、オスマン帝国海軍の巡洋戦艦「ヤウズ・スルタン・セリム」および巡洋艦「ミディッリ」と交戦したが[34]、一方的に撃沈されている[3]

軍用機の急速な発達が進むと、モニター艦の防御力の弱さが目立つようになり、速力が遅いことによる運用難もあって次第に衰退した。列強各国が軍縮条約を締結して海軍休日がはじまると、そもそも大口径砲を搭載した艦艇の建造が困難になった[注釈 23]。 ロンドン海軍軍縮条約で、イギリスは損傷した「ロバーツ」と[注釈 24]、特殊艦船としてモニター艦3隻(エレバステラーマーシャル・ソルト)の保有を許された[1]。アメリカ海軍はモニター艦シャイアン」、イタリア海軍は「ファー・ディ・ブルーノ[注釈 3]など5隻の保有を認められた[1]

第二次世界大戦の開戦時、イギリス海軍の現役モニター艦はエレバス級2隻だけだった。「テラー」はインセクト級砲艦と共にバルディア砲撃をおこなうなど地中海戦域で活動したが、ドイツ空軍Ju87により撃沈された[37]。「エレバス」は太平洋戦線に転用されたこともあり、セイロン島トリンコマリーに停泊中、南雲機動部隊艦上機により損傷した(セイロン島沖海戦)。イギリス海軍は戦時中にロバーツ級モニター2隻を建造した。第二次世界大戦終盤、イギリス海軍のモニター艦はイタリア侵攻ハスキー作戦[5]アヴァランチ作戦など)や[38]ノルマンディー上陸作戦などの上陸作戦に参加した[39]

第二次世界大戦時に新たな「大口径砲搭載モニター艦」を建造したのはイギリスだけだったが、モニター艦が目的とした海上からの火力支援任務はむしろ重要性を増し、一般的な戦艦やロケット弾搭載舟艇がこれを引き継いでいる。なおイギリス海軍のモニター艦2隻は1950年代まで在籍していた。2024年時点で、1915年に就役したM29級モニター英語版M33英語版が、イギリス海軍国立博物館英語版において記念艦として保存・公開されている。

河用モニター艦

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ポーランド海軍トルン級河用モニターピンスクに係留中の写真。(1926年以前)

19世紀の砲艦は、来襲する敵艦隊から自国の周辺海域を防衛するため「小型で浅い吃水の船体に比較的大型の砲を搭載する」という艦艇であった(レンデル式砲艦など)[注釈 4]。だが軍艦の大型化により、その任務を他艦種に譲った[40]。砲艦は、河川や沿岸などで運用されるようになる[注釈 18]。このように内水用に用いられるようになった砲艦(砲艇)の中にもモニター艦式の設計のものがあり、海上用のモニター艦とは区別して河用モニター艦と呼ばれることもある。武装には戦車用の砲塔を流用したものが多い。例えばベトナム戦争でアメリカ軍は、上陸用舟艇を改造して迫撃砲や戦車砲を搭載した重武装の砲艇を使用し、モニターと呼んでいた。これはメコン川などの流域にあるゲリラ拠点に対しての対地攻撃に用いられた。

また第一次世界大戦時にイギリス海軍が前弩級戦艦6インチ砲を採用して建造したインセクト級砲艦は、メソポタミア遠征で活躍した他、戦間期の支那事変における砲艦外交をおこなったり(レディバード号事件)、第二次世界大戦の地中海戦域において対地砲撃を実施するなどの活躍を見せた[注釈 25]

代表的なモニター艦

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アメリカ海軍のモンテレー
 
ノヴゴロドの模型

潜水モニター艦

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モニター艦の中でも特異な存在の艦ないしモニター類似艦として、第一次世界大戦後にイギリス海軍の建造したM級潜水艦を挙げることができる。この潜水艦は限定旋回式の305mm単装砲塔を搭載しており、敵水上艦船への浮上攻撃を行う計画であった。

なお、フランス海軍でも、通商破壊用に203mm砲塔を搭載した似た性格の巨大潜水艦スルクフを建造したが[42]、こちらはモニター艦と呼ばれることは無い。

創作作品

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脚注

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注釈

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  1. ^ a b モニトル [ monitor ][4] 回轉砲塔を有する吃水淺く舷の低い海防艦で、沿岸の作戰に使用するもの。
  2. ^ マッキンタイア著『海戦 連合軍対ヒトラー』(1971年発行、関根英夫、福島勉訳)では、「低舷砲塔艦」と翻訳している[5]
  3. ^ a b 伊太利[7] モニター艦ファ・ディ・ブルノ(一九一七年竣工)排水量二八四五噸、時速三.三節。十五吋砲二門を備ふ。(中央)▼モニター艦=巨大な廻轉砲塔を有する低舷側甲鐡艦▲
  4. ^ a b 一、砲艦[9] 砲艦の目的とするところは海岸或は島嶼の間に在つて自在に出没し輕便の運動をなし或は河川を溯て陸上と交戰するに在るか故に艦體輕小にして吃水從つて淺きを常とす而して何れの場合に於ても正々堂々の戰をなすものにあらさるか故に防禦の如きは通常皆無といふも付加なく唯其の重んするところのものは攻撃力なり速力及遠航性の如きは更に重きを置くの要なし/ 砲艦は十餘年前までは多少勢力ありたりしか水雷艇益々發達せる結果海岸防禦の任は其の専務に歸するか如き有様となり砲艦の用途は海防艦と共に大に滅するに至れり/ 砲艦の一種に甲装砲艦と稱するものあり機關部彈藥庫等の如き艦の緊要部に装甲して防禦の力を増せるものなり其の目的は海防艦若しくは海岸攻撃艦の一種として用ふるに在らん而して其の装甲せる結果排水量は通例装甲なきものに比して大に多くは千餘噸に達す
  5. ^ 第二節 海防艦 Coast Service Vessal.[11] 此の艦種に属する艦船は、専ら港灣附近に於て使用せらるべき任務を有するものして、本艦種の濫觴とも云ふべきは、昔時彼のクリミヤ戰爭時代にありて、浮砲臺(Floating Battery)なる一種の兵器盛に用ひられたり、而して此の浮砲臺なるものは、常に港灣内の要所附近に浮遊し、以て敵艦の我港灣要地を封鎖するを、防禦するに使役せり、爾来兵器の發達と共に、此の浮砲臺も漸次改良を加へられ、今日の海防艦として、艦種中に其の有力なる地位を占むるに至りしなり、而して此海防艦は、最早昔日の浮砲臺の如き、任務にのみ從事するを甘んずる事能はず、遂に遠く遠洋を横ぎり、敵國海岸に於て却つて敵國を攻撃するの積極的動作を企つるに至れり、この故に海防艦は、其の任務に由りて、左の二様に區別することを得べし、
    一 海岸防禦艦 Coast Defence Ship.
    二 海岸攻撃艦 Coast Attack Ship.
    甲は専ら自國海岸警備の任に當り、以て内顧の患を絶ち、乙は出でゝ敵國海岸に砲火を加へ、以て自國艦隊の活動を擁護す、以上述ぶる處によりて、畧ぼ本艦種の任務一般を覗知するに難からず、從ふて本艦の具備すべき要素も亦明白なり。(以下略)
  6. ^ a b 二、防禦力[12] 此の要素も亦攻撃力と同様にして、少なくとも敵艦の攻撃力と同等、或はそれ以上の防禦力を欲するなり、而して此の艦種に属する艦は、多くの場合に於て殆んど常に、海岸の附近に遊弋するを以て、大なる波浪の侵害を蒙る機會は少なく、且つ根據地に近きを以て、他の諸艦の如く大量の消耗品、或は糧食品を貯藏し置くの必要なし、故に艦體の水面上の高さを、他の諸艦に比して減じ得るの便あり、即ち敵火に對して、其の防禦面積を滅し、敵艦より受くる攻撃の範圍を、縮小するの大利益あり、此の水面上の高さを減ずるは、獨り如上の利あるに止まらず、同時に其の吃水を少なくせしむることを得、是れ海岸の水深多からざる所を、航行するに特別なる利益を有す、米國海軍は、此の種の艦船に充分なる成功を収め、(自國海軍の情態上の必要よりして)終に「モニトール」(Monitol)なる一種の淺吃水艦を、海防艦として採用するに至れり、左に其の一艦に就き、主要なる寸法及び攻撃力防禦力を示さんに、米國海防艦、アルカンサス號(Arkansas)(要目略)
  7. ^ 一、海防艦[15] 海防艦は自國沿岸に在つて敵の來襲に備へ敵艦を反撃するに在り而して時に敵國沿岸に至り第二の戰闘たる海岸砲臺の攻撃に任することあり此の種の艦の具備すへき最も主要なる性能は攻撃力の大なるに在り防禦力之に次き速力及航續性の如きは毫も重きを置くに足らすとす此の艦の敵とすへきものは戰艦巡洋艦其他如何なる軍艦にも對し得へきものなれとも用ふるところ概ね沿岸に存するか故に其の吃水は淺く運轉の輕便なることを要す此種の艦に属すへき浮砲臺は米の南北戰爭間最も多く用ゐられ効を奏したりしか今日獨逸の外殊に此の種の軍艦を製造するもの稀れなり英國の如きは老朽戰艦を以て此の目的に充つるものゝ如し我國にては適當なる此の種の軍艦を有せす
  8. ^ ほう-とう ハウタフ[ 砲塔 ][17] 主力艦の大口徑砲はすべて堅固なる鋼鐡鈑を以て圍まれてゐる。その圍ひを砲塔といひ、戰闘中砲員・砲機・彈藥を保護する。從來砲塔を搭載するのは主力艦のみであつたが、現今は巡洋艦・驅逐艦などもこれを装備するやうになつた。 ― かん[ 砲塔艦 ]砲塔を備へる装甲艦。(以下略)
  9. ^ イギリスコールズ大佐は発明家でもあり、1859年3月に回転砲塔の特許を取得した。イギリス海軍エトナ級浮砲台の「トラスティ ( HMS Trusty) 」に回転式砲塔を増設した。エリクソンが砲塔を搭載した「モニター (USS Monitor) 」を建造したのは、1861年の事である。また「モニター」の砲塔設計にはアメリカ人技師セオドア・ティンビー英語版が関与した可能性があるという。
  10. ^ a b (中略)中央砲臺式現はる[16] 又此時代に「ターレツト、シツプ」(回轉砲塔艦)と稱する特種の戰闘艦が發明せられた、之は亞米利加南北戰爭中千八百六十二年北軍の爲めに瑞典人「エリクソン」に依りて計畫新造せられたる「モニーター」型を改良したものである、此「モニーター」は船體中央に圍壔形砲臺を置き、其中に大砲を置き、其中に大砲二門を装し、砲臺と大砲を直立軸の周圍に回轉せしむるのであつた、斯の如くなせば大砲の發射角度を増し、前後左右何れに向つても船の方向を轉ずることなくして自在に發砲することが出來る、之を前記の「ブロード、サイド、システム」則ち一方の舷側にある砲は殆んど眞横に向てのみならでは發射し得ない装置に比すれば著しく發達した考案であります、「エリクソン」が之を「モニーター」と命名したのも多少意味のある事で、其當時は各國に於て皆「ブロードサイド」式のみを用ひ居る時代であるから、自己の考案は確かに一般海軍社會の爲に大なる教訓を與へ。且つ好模範を示したものであると云ふ大抱負から出たのであると傳へられて居る、又英國に於ても其以前より「カピテン、コールス」と云ふ人が之に類似した艦種を案出しましたが、實戰に於て「モニーター」の結果良好なりし爲め英國政府も此考案を採用したのである、然し元來の「モニーター」は乾舷部(水面より上甲板迄の高)の極低は船で、平水の使用のみに適したもので、航洋艦ではありませなんだ、之を英國に於て漸次改良を加へ其の間幾多の失敗と經驗とを重ねて、千八百七十一年に到り一種の航洋回轉砲塔艦を計畫した、之が「デハステーション」(第五圖)である。(以下略)
  11. ^ a b 米國モニター型砲艦及び英國圍砲塔艦[18] 砲を防禦せんが爲め、圓形即ち塔形の、鐡板中に砲を納め、砲口の一部分を出現し、砲は塔と共に回轉する圍砲塔式出づ、米國にて此目的を以て千八百六十二年エリクソン氏は、戰艦の水面上に突出せる部分を甚だ僅少にし、舷側に帶甲をなし、併せて上甲板に厚鐡を張り、重砲は回轉圍砲塔中に包まれ其數少なく、敵の目標となるべき部分頗る少し、然れども風波高き時は安定大に不安なるが故に、英國にては水面上の部分を稍々高くし帶甲及び防禦甲板は全く同式に依る圍砲塔艦を建造したり。
     千八百六十六年、英人エドワード、リード氏はモニター艦を變造し、上甲板上は一種防禦建物を造り内に圍砲塔を設け、其基部は此建物に依て防禦され建物上には防禦甲板を天井として内部を防禦す、次で千八百七十三年に該建物を船の幅一面になし稍々今日の中央砲臺に類似したるものを構成せり。斯くの如く圍砲塔式防禦式の發達と共に、司令塔をも甲鐡を以て包圍して司令官の安全の程大に増加す。
  12. ^ 軍艦に歴史に就て 最新最強は英國フッド[20] 現代式の鋼鐵で作つた軍艦の起源は米國のラーカー氏によると今より殆んど六十年前同國の南北戰爭に際してモニター艦が造られた當時に淵原して居るモニター艦は甲板の高さは水面上僅かに一一呎だけで甲板上には砲塔の外には殆んど何等の設備もなく動力には蒸氣を用ゐ船體には鋼鐵で建造したものであつたが其れより數年前佛國が其のフリゲート艦の艦側を鐡板を以て被つて居つたのと相俟つて遂に現代式の堂々たる甲装艦の發達を促したのである其れ以前の軍艦は悉く木造に過ぎなかつた(以下略)
  13. ^ (中略)[21] アメリカでもエリクソンが一八六一年に甲鐡砲艦モニトールを設計し、プロシャやオーストリアもまた自國製の装甲艦をつくりはじめた。アメリカ南北戰爭における有名なメリーマーク對モニトールの戰爭は、装甲艦交戰の歴史の幕をきつておとしたといふことができる。(第八十二圖)(以下略)
  14. ^ 「モニター」の設計者であるジョン・エリクソン自身も[21]スウェーデン海軍向けにモニター艦を設計している。
  15. ^ ただしペルー海軍太平洋の戦争で使用した「ワスカル」等は、帆走設備を有する通常型の船体にもかかわらず、モニター艦のひとつに数えられることがある。厳密には砲塔艦に分類される。
  16. ^ 中央砲臺式現はる[24] 千八百七十一年に英國圍砲塔艦キャプテン號は、船重不平均の爲め沈没せしかば、海軍省に於て集會を開き次回に製造すべき軍艦の装甲法に就て大に研究し、千八百七十三年中央砲臺式に依てインフレシキブル號を建造せり、該式は艦體中央部を適當なる長さ厚甲鐡(二十四吋)を以て包圍し、艦首尾には水面下に防禦甲板を張り、其上部は小部分に區劃し、其一部破壊するも他部には浸水せず艦體安全に航行し得る事に心を盡したり。
  17. ^ たとえばロシア帝国バルチック艦隊むけにアメリカの支援下で装甲艇ロシア語版ウラガン級モニター)を導入した。ロシア海軍は装甲砲艦を多数建造し、その中にはポポフ提督が開発した円形砲艦「ノヴゴロド」も含まれる[22]。これらの装甲艦(モニター艦)は、やがて装甲海防艦(アドミラル・ウシャコフ級海防戦艦など)[23]に発展した。
  18. ^ a b 砲艦[29] 砲艦は主として淺所即ち陸岸近く之を用ひ、特殊の作戰に便ならしむる爲に造らるゝのであるが、驅逐艦潜水艦の發達せる今日陸岸用としてもその効力は此等のものに若かないのであつて、歐洲戰爭に於てはモニトール(同じく淺吃水であるが、可なりに強大な攻撃力を有つてゐる特殊艦)が稱用された。併し勿論是は砲艦ではない。/故に砲艦の用途は寧ろ淺吃水砲艦即ち河用砲艦に在るので、現に就役含むしつゝある我砲艦は、大抵自由に揚子江に遡航し、警備竝に我居留民の保護等重要なる任務に服しつゝあるのである。/我砲艦は之を一等二等に區別し、八百噸以上のものを一等、以下のものを二等砲艦と唱へてゐる。(記事おわり)
  19. ^ ギリシャ海軍が船体をドイツ帝国で建造し、主砲をアメリカ合衆国に発注した戦艦「サラミス」など。「サラミス」の主砲塔を利用してアバクロンビー級モニター4隻となる。
  20. ^ 一例として、防護巡洋艦や装甲巡洋艦の砲塔を流用したM15級モニタークイーン・エリザベス級戦艦に搭載予定で余っていた6インチ砲を流用したM29級モニターなど。
  21. ^ 対魚雷バルジを開発したのはダインコート卿であり、最初に装備したのはイギリス海軍のエドガー級防護巡洋艦であるという[33]
  22. ^ 【英艦フードの水線下防禦】[33] 水線下防禦としてバルヂを使用する方法の實現は、過般の戰爭の經緯に鑑み、英國海軍之を採用せるに在り。即ち最初はその簡單なるものをモニトールに装着したるが、此のモニトールは白國海岸の砲撃に用ひられ、獨逸の電氣自動艇により二發の魚雷を受けたるも沈没せざりしと云ふ。尋で巡洋戰艦レパルスレナウン、輕巡洋艦フロピツシヤー等に取附けられたるが、その構造稍〃複雑となれり。戰艦ラミリース等に装着せるものは、構造上少しく赴きを異にし、最新艦フードに取附けられたるもの亦之に類す。(以下略)
  23. ^ ワシントン海軍軍縮条約主力艦の建造が制限されたが、モニター艦は補助艦艇として扱われた[35]。そしてロンドン海軍軍縮条約で補助艦艇の建造が制限された。
  24. ^ (ニ)聯合王國ハ實驗用ノ爲ノ必要ナキニ至ル迄主砲及砲架ノ既ニ損壊セラレタル「モニター」艦「ロバーツ」竝ニ水上飛行機母艦「アーク、ロイアル」ヲ其ノ現状ニ於テ保有スルコトヲ許サル右二隻ノ艦船ヲ保有スルコトハ前記(ハ)ニ依リ許サレタル艦船ノ保有ヲ妨グルモノニ非ズ[36]
  25. ^ コンパス作戦では、インセクト級砲艦がモニター艦「テラー」と共にバルディア砲撃を実施した。
  26. ^ 基本的にはマジェスティック級戦艦から降ろした12インチ連装砲塔を搭載。3隻は空母フューリアスから降ろした18インチ砲を追加装備したが、「プリンツ・オイゲン」の改造は終戦までに間に合わなかった。その後の「ロード・クライブ」は18インチ砲を降ろし、16インチ三連装砲塔(ネルソン級戦艦用)の試験につかった[41]

出典

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  6. ^ 知らねばならぬ今日の重要知識 1933, p. 392(原本738頁)〔 尚、表の内にモニトール艦とあるのは、旋回砲塔を持つ吃水の淺い装甲海防艦であり、スループ艦とは砲艦よりも稍々大きいスループ型の帆走艦のことである〕
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  8. ^ 海軍解説 1905, p. 73原本126頁
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  11. ^ a b 軍艦詳説 1904, pp. 27–28.
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  17. ^ 標準海語辞典 1944, p. 306原本592頁
  18. ^ a b 海事叢書 1909, pp. 109–110米國モニター型砲艦及び英國圍砲塔艦
  19. ^ 近代軍事技術史 1941, p. 164(原本305頁)〔 一八六一~一八六五、アメリカ南北戰爭/一八六一 技師エリクソン、アメリカで甲鐡砲艦モニトールを設計す 〕
  20. ^ Shin Shina, 1921.12.03”. Hoji Shinbun Digital Collection. 2023年8月19日閲覧。 p.11
  21. ^ a b 近代軍事技術史 1941, p. 117原本211頁
  22. ^ a b 華海防新論 1894, pp. 15–16.
  23. ^ a b c 軍艦詳説 1904, pp. 30–31.
  24. ^ a b 海事叢書 1909, p. 110.
  25. ^ 海事叢書 1909, pp. 18–19.
  26. ^ 軍艦詳説 1904, pp. 47–49第六節 水雷艇
  27. ^ 軍艦詳説 1904, pp. 236–239第一節 魚形水雷
  28. ^ 海事叢書 1909, p. 88.
  29. ^ 大日本軍艦写真帖 1924, p. 32.
  30. ^ 死闘の海 2004, pp. 182b-183.
  31. ^ 死闘の海 2004, pp. 182a-183コラム(7)モニターという異端児
  32. ^ ドイツ地中海戦隊 1928, p. 162.
  33. ^ a b 海事参考年鑑、大正10年版 1921, pp. 36–37原本42-44頁
  34. ^ 死闘の海 2004, p. 284.
  35. ^ 華府会議と其後 1922, pp. 75–76(原本137-139頁)補助艦艇
  36. ^ 倫敦海軍条約・第四款 實驗用ノ爲保有セラルル艦船 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  37. ^ * ジョン・ウィール「第4章 北アフリカ戦線」『北アフリカと地中海戦線のJu87シュトゥーカ 部隊と戦歴』手島尚 訳、株式会社大日本絵画〈オスプレイ軍用機シリーズ31〉、2003年3月、45頁。ISBN 4-499-22805-0 
  38. ^ 海戦、連合軍対ヒトラー 1971, pp. 354–355.
  39. ^ 海戦、連合軍対ヒトラー 1971, p. 433.
  40. ^ 軍艦詳説 1904, pp. 41–44第四節 砲艦及び水雷砲艦
  41. ^ 海軍及海事要覧、昭和2年版 1927, p. 28原本20頁
  42. ^ 世界海軍大写真帖 1935, p. 51一等級潜水艦スゥルクゥーフ

参考文献

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  • 松代守弘 「モニター艦」『知られざる特殊兵器』 学習研究社歴史群像アーカイブ〉、2008年、114頁。
  • ドナルド・マッキンタイア『海戦 ― 連合軍対ヒトラー ―』関野英夫、福島勉 訳、早川書房、1971年7月。 
  • 三野正洋、古清水正夫『死闘の海 第一次世界大戦海戦史』光人社〈光人社NF文庫〉、2004年7月(原著2001年)。ISBN 4-7698-2425-4 

関連項目

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