ラ・ルヴュ・デュ・シネマ
『ラ・ルヴュ・デュ・シネマ』(仏語:La Revue du cinéma、1928年 - 1931年/1946年 - 1950年)は、かつて存在したフランスの映画雑誌。ヌーヴェルヴァーグを生んだ雑誌『カイエ・デュ・シネマ』の前身となった雑誌として知られる。
略歴・概要
編集- 1928年、21歳の青年ジャン=ジョルジュ・オリオールによりパリで創刊。
- 1931年、いったん廃刊する。オリオールは脚本家の道を歩む。
- 1946年10月、第二次世界大戦後、オリオールが当時26歳のジャック・ドニオル=ヴァルクローズとともに復刊に尽力、新創刊する(第二期創刊)。ドニオル=ヴァルクローズが翌1947年編集長に就任(1947年 - 1949年)。当時、『レクラン・フランセ』誌が多くの映画人の協力を得て、絶大なる地位を築いていたことから、それに対抗する雑誌を目指そうというのが、この第二期創刊の目的であった。
- 1950年4月2日、オリオールが交通事故で死去(43歳)、それとともに廃刊となる。
- ドニオル=ヴァルクローズはオリオールの遺志を継ぎ、アンドレ・バザンとともに第三期の復刊をめざすが、版元から『ラ・ルヴュ・デュ・シネマ』の名称を使用する許諾を得られず、翌1951年4月『カイエ・デュ・シネマ』創刊という形に結実する。ここにはエリック・ロメールが編集し圧倒的に若い執筆陣を抱えた『ラ・ガゼット・デュ・シネマ』(1950年5月 - 11月)も合流し、当時のパリのシネフィルの大同団結となった。
主なメンバー
編集- 編集:ジャン=ジョルジュ・オリオール、ジャック・ドニオル=ヴァルクローズ、ドゥニーズ・テュアル、ジャック・ブルジョア
- 執筆:オリオール、ドニオル=ヴァルクローズ、ブルジョア、ジョルジュ・サドゥール、アンドレ・バザン(アマブル・ジェイムソン名義)、ニノ・フランク、ロッテ・アイスナー、エリック・ロメール(モーリス・シェレール名義)、ピエール・カスト、ジャン・グレミヨンほか