ラホイスク
ラホイスク(ベラルーシ語: Лагойск)はベラルーシ・ミンスク州ラホイスク地区(en)の中心市である。首都ミンスクから北北東に36kmの位置にあり、ハイナ川(ru)に接する。市の付近にはミンスクとヴィツェプスクをつなぐ高速道路が通っている。1998年より市制が敷かれた。
ラホイスク Лагойск | |
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座標 : 北緯54度12分00秒 東経27度51分00秒 / 北緯54.20000度 東経27.85000度 | |
歴史 | |
建設 | 1078年 |
市 | 1998年 |
行政 | |
国 | ベラルーシ |
州 | ミンスク州 |
地区 | ラホイスク地区(en) |
市 | ラホイスク |
人口 | |
人口 | (2016年現在) |
市域 | 12379[1]人 |
その他 | |
等時帯 | FET (UTC+3) |
郵便番号 | 223141 |
市外局番 | +375 1774 |
ナンバープレート | 5 |
位置図 | |
公式ウェブサイト : http://logoysk.gov.by/ |
歴史
編集年代記への初出は1078年の記述であり、ポロツクの地(ru)の一部として名が挙がっている[2]。12世紀頃からロゴジュスク公国の中心地となり、13世紀にはリトアニア大公国の一部となり、ヨガイラ、スキルガイラ、ヴィータウタス、チャルトリスキ公家、ティシュキェヴィチ伯家(en)が所領として支配した。
1505年、クリミア・ハン国との戦争で街は占領され、略奪と放火を受けた。1700年 - 1721年の大北方戦争ではスウェーデン・バルト帝国軍に占領され、ラホイスク城が破壊された。
1793年、第2次ポーランド分割の結果、ロシア帝国の一部となった。なお1814年 - 1819年にティシュキェヴィチ伯家の宮殿が建設されたが、第二次世界大戦(大祖国戦争(ru))の際に破壊されている。
19世紀にメステチコに、1897年にボリソフスク郡の郷となった[注 1]。1890年代には1180人が住んでおり、そのうち685人はユダヤ人だった。また、街にはシナゴーグ、ユダヤ教の礼拝所、正教会、カトリック教会(Костёл)があった[3]。
教育
編集観光
編集姉妹都市
編集姉妹都市
協力協定を結んでいる自治体
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ Численность населения на 1 января 2016 г. и среднегодовая численность населения за 2015 год по Республике Беларусь в разрезе областей, районов, городов и поселков городского типа
- ^ 國本哲男『ロシア原初年代記』267頁
- ^ Логойск//Энциклопедический словарь Брокгауза и Ефрона,В 86 томах (82 т. и 4 доп.). — СПб., 1890—1907.
- ^ Детский сад на 230 мест открылся в Логойске
参考文献
編集- 國本哲男他訳 『ロシア原初年代記』 名古屋大学出版会、1987年。