ラズロ・ラベル
ラズロ・ラベル(Laszlo Rabel, 1937年9月21日[1] - 1968年11月13日)は、アメリカの軍人。アメリカ陸軍の兵士としてベトナム戦争に従軍した。最終階級は二等軍曹。名誉勲章受章者。
ラズロ・ラベル Laszlo Rabel | |
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生誕 |
1937年9月21日 ハンガリー王国 ブダペスト |
死没 |
1968年11月13日 (31歳没) ベトナム共和国 ビンディン省 |
所属組織 | アメリカ陸軍 |
軍歴 | 1965年 - 1968年 |
最終階級 | 二等軍曹(Staff Sergeant) |
墓所 | アーリントン国立墓地 |
経歴
編集1937年、ハンガリー王国・ブダペストに生まれる。1956年のハンガリー動乱の折にアメリカに移住した。1965年、ミネソタ州ミネアポリスにてアメリカ陸軍に入隊し[2]、1968年11月13日に二等軍曹として第173空挺旅団第74歩兵支隊(長距離パトロール隊)に配属される。同日、ベトナム共和国ビンディン省における戦闘の最中、彼は敵の投擲した手榴弾に覆いかぶさり、自らの命と引き換えに戦友の命を救った。
戦死後、ラベルはアーリントン国立墓地に埋葬された。
名誉勲章勲記
編集ラベルに授与された名誉勲章の勲記には、次のように記されている。
課せられた義務を凌駕する類稀なる武勇と自らの命をも顧みない勇敢に捧ぐ。
ラベル二等軍曹は第74歩兵支隊チーム・デルタの指揮官であった。その日の10時ちょうど、敵の連絡路の捜索任務に当たっていたチームデルタは敵と遭遇し、激しい攻撃に持ちこたえていた。ラベル二等軍曹と戦友らは敵を掃討するべく応戦していたが、彼は「手榴弾だ!」という叫び声を聞き、同時にチームの真ん中に手榴弾が転がり込んだのである。その時、ラベル二等軍曹は自らの命を顧みず、手榴弾の上に覆いかぶさり、直後の爆発で吹き飛ばされた。戦友を救わんとするラベル二等軍曹の不屈の勇気と献身が為に、チームデルタの他隊員らは被害を免れたのである。軍歴に最も輝かしく書き記された捨て身の勇敢さにより、ラベル二等軍曹は彼自身、彼の部隊、そしてアメリカ陸軍の信望を確かなものにしたのである。
脚注
編集- ^ ソースにより誕生日が異なる。名誉勲章の勲記では1939年9月21日とされており(“Vietnam War Medal of Honor recipients (M-Z)”. United States Army Center of Military History (August 3, 2009). July 1, 2010閲覧。)、政府が設置した彼の墓碑("ラズロ・ラベル". Claim to Fame: Medal of Honor recipients. Find a Grave. 2007年6月22日閲覧。)では1937年9月21日とされている。
- ^ Service Profile
参考文献
編集- "ラズロ・ラベル". Claim to Fame: Medal of Honor recipients. Find a Grave. 2007年6月22日閲覧。
- “Vietnam War Medal of Honor recipients”. Medal of Honor citations. United States Army Center of Military History (October 3, 2003). 2007年6月22日閲覧。