ラジェンドラ・ラージャ・ラクシュミー・デビー
ラジェンドラ・ラージャ・ラクシュミー・デビー(Rajendra Rajya Lakshmi Devi, 生年不詳 - 1785年7月13日)は、ネパール王国の君主プラタープ・シンハ・シャハの王妃。
ラジェンドラ・ラージャ・ラクシュミー・デビー Rajendra Rajya Lakshmi Devi | |
---|---|
ネパール王妃 | |
出生 |
不詳 パルパ |
死去 |
1785年7月13日 カトマンズ、ハヌマン・ドーカ宮殿 |
配偶者 | プラタープ・シンハ・シャハ |
子女 |
ナゲンドラ・シャハ ラナ・バハドゥル・シャハ |
宗教 | ヒンドゥー教 |
生涯
編集時期は不明ながら、ネパール王プラタープ・シンハ・シャハと結婚した。王との間には、 1775年にラナ・バハドゥル・シャハをもうけた[1]。それ以前にナゲンドラをもうけているが夭折している[1]。
1777年11月、プラタープ・シンハが死亡し、幼い息子のラナ・バハドゥルが王位を継承すると、その摂政となった。だが、ベティヤーにいた王の叔父バハドゥル・シャハが帰国し、王母代わって摂政になった[2]。
その後、重臣らの支持を受けた王母はバハドゥルを投獄したが、王師ガジ・ラージ・ミシュラの助言もあって数日のうちに釈放した[2]。それでも2人の対立は深まり、今度はバハドゥルが王母を投獄したが、重臣らの反発を受けたため、王母を釈放してベティヤーに戻った[2]。これらの争いは、1781年の二四諸国の攻撃に繋がった[2]。
脚注
編集参考文献
編集- 佐伯和彦『世界歴史叢書 ネパール全史』明石書店、2003年。