モハメド・ビン・スライエム
モハメド・アフマド・スルタン・ビン・スライエム(Mohammed Ahmad Sultan Ben Sulayem、1961年11月12日 - )は、アラブ首長国連邦・ドバイ在住のラリードライバー。2021年12月より国際自動車連盟(FIA)会長を務める。
(محمد بن سليّم) モハメド・ビン・スライエム | |
---|---|
国際自動車連盟10代目会長 | |
就任 2021年12月17日 | |
前任者 | ジャン・トッド |
個人情報 | |
生誕 | 1961年11月12日(63歳) |
国籍 | アラブ首長国連邦 |
職業 | 国際自動車連盟10代目会長 |
略歴
編集1986年のFIA中東ラリー選手権(MERC)においてチャンピオンを獲得して以降、2002年までにイベント60勝、選手権は14度制覇するという金字塔を打ち立てた[1](後にナッサー・アル=アティヤが記録を更新)。2003年以降はサバティカルをとっている。
また、UAEツーリングクラブ (ATCUAE) の代表や、FIA世界モータースポーツ評議会の副会長なども歴任。1991年に彼が開始し、現在では世界ラリーレイド選手権の一戦となっているアブダビ・デザートチャレンジ(旧称UAEデザートチャレンジ)の開催委員会議長も務める。
2009年4月9日には、ドバイのオートドロームにおいて行われたイベントでF1マシンのルノー・R28を運転中に壁面に衝突して破壊し200万ユーロの損害となったが、自身は無傷であった。
2021年12月、前任のジャン・トッドの任期満了に伴い開かれたFIA会長選挙で、対立候補のグラハム・ストーカーを破り会長に就任した[2]。
会長就任後、スプリントレースの是非や商業権をめぐってF1に干渉したため、F1側と激しい対立が繰り広げられた[3]。また英国貴族院の議員はスレイエムに対し、スポーツウォッシングをしている(中東の人権問題をスポーツでかき消そうとしている、という主張)として非難する書簡を送っている[4]。
息子のサイフ・ベン・スレイエムもUAEフォーミュラ4などにレーサーとしての参戦歴を持っていたが、2023年にドバイで交通事故により死亡している[5]。
優勝歴
編集- 中東ラリー選手権 - 1986-1991年、1994年、1996-2002年
- UAEインターナショナルラリー - 1996-1999年、2001年
- バーレーンインターナショナルラリー - 2000-2002年
- カタールインターナショナルラリー - 1988年、1990-1991年、1996-1998年、2000-2002年
- ジョーダンインターナショナルラリー - 1984年、1987-1988年、1990年、1994年、1996-2002年
- ラリー・ドゥ・リバン - 1987年、1997-1999年
- シリアインターナショナルラリー - 2000-2002年
- ドバイインターナショナルラリー - 1985-1988年、1991-1995年、1997-2002年
- オマーンインターナショナルラリー - 1986-1987年、1990-1991年、1994年、1998年
- クウェートインターナショナルラリー - 1985年、1988-1989年、1996年
- サウジインターナショナルラリー - 2000年
脚注
編集- ^ In 2009, the event was renamed as the Abu Dhabi Desert Challenge.
- ^ FIA、新会長にモハメド・ビン・スライエムを選出。12年にわたり貢献したジャン・トッドが任期満了で退任 - オートスポーツ・2021年12月18日
- ^ 炎上したベン・スレイエムFIA会長の「F1が2兆円は高すぎる」発言。フェラーリ新代表バスール「シーズンが開幕すれば落ち着く」を意に介さず
- ^ 英国貴族院がFIA会長を猛バッシング。人権問題懸念し送った書簡に返答なく「なぜ議員を無視できる? 非常に無礼でプロ意識に欠ける」
- ^ FIA会長モハメド・ベン・スレイエムの息子がドバイでの交通事故で亡くなる。詳細はプライバシー理由に明かされず