モネータ
逸話
編集ユーノー・モネータ神殿は、元々ローマの強敵であったウェイイにあり、紀元前396年、英雄マルクス・フリウス・カミッルスがウェイイを陥落させた際、他の財産と共にローマへと移転させた。移転作業の際、最初は皆その神聖な神体に手を触れることを恐れたが、ある一人の若者が冗談まじりに「ユーノー様、ローマへ行きたいのではありませんか?」と語りかけ、それを聞いた他の者たちは「肯定された」「行きたいと言われた」と口々に言い合い、運び出されたという。神像は独裁官カミッルスがユーノー神の座所と定めたアウェンティーヌスの丘に置かれ、神殿が築かれた[2]。
紀元前390年にガリア人セノネス族がローマを包囲した際には、人々はカピトーリウムの丘に立て籠もっていた。ある夜、ガリア人がカピトーリウムに夜襲をかけようと潜入してきた。歩哨も犬も気が付かなかったが、ただユーノー・モネータの神殿で飼われていた聖なるガチョウだけが敵の襲来を告げた。食料の不足する中、ローマ人はこのガチョウには手を出していなかった。このガチョウの声に、紀元前392年にユーノー神殿を完成させたマルクス・マンリウス・カピトリヌスが飛び起き、敵を撃退してローマを守り抜いたという[3]。この時の逸話が名称の起源となったとする説もある[1]。
紀元前345年、アウルンキ人との戦争の際、時の独裁官ルキウス・フリウス・カミッルスが、戦勝祈願としてユーノー神殿の建立を誓約し、カピトーリウムにあったマンリウス・カピトリヌスの屋敷跡[注釈 1]に建設された[4]。ここには公文書が保管された[5]。
注釈・出典
編集注釈
編集- ^ 彼は後に処刑され財産も没収された
出典
編集参考文献
編集- ティトゥス・リウィウス 著、岩谷智 訳『ローマ建国以来の歴史 2』京都大学学術出版会、2016年。
- ティトゥス・リウィウス 著、毛利晶 訳『ローマ建国以来の歴史 3』京都大学学術出版会、2008年。