メクロン級スループ HTMS Maeklong Class Sloop) は、タイ王国海軍スループ[注釈 2]の艦級である。

メクロン級スループ
プラジュンジョムクラオ要塞博物館に記念艦として保存されている1番艦「メクロン」
基本情報
建造所 浦賀造船所
運用者  タイ海軍
艦種 スループ
艦歴
起工 1936年7月24日
進水 1936年11月27日
竣工 1937年[1]
就役 1937年6月10日
退役 1995年3月20日
要目
常備排水量 1,400トン
全長 85.0m
最大幅 10.5m
吃水 3.7m
機関 形式不明石炭専焼水管缶-基
+タービンレシプロ複合機関[2]2基2軸推進
出力 2,500hp
最大速力 17.0ノット
航続距離 17ノット/5,700海里
乗員 52名[注釈 1]
兵装 12cm(45口径)単装砲4基
2cm連装機銃1基
45.7cm連装魚雷発射管2基
機雷20発
搭載機 水上機1機搭載可能
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概要

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本級は、タイ王国が自国の沿岸警備のために日本浦賀造船所に発注した軍艦[4]日本海軍の書類上表記や[5]、呼称は練習艦[6]。新聞報道でも「練習艦」と表記された[注釈 3]

艦形・武装

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艦首から撮られた「メクロン」

船体形状は、艦首乾舷を高めた船首楼型とした。前甲板に主砲として日本製の防盾付き12cm(45口径)単装砲を背負い式に2基配置。2番主砲の基部から甲板一段分上がって、日本海軍睦月型駆逐艦に似た形状の頂上部に測距儀を載せた塔型艦橋が立ち、その背後には簡素な三脚式の前檣が1基立つ。船体中央部に細身の1本煙突が立ち、煙突の側面部は艦載艇搭載スペースとし、煙突後方両舷には旋回式連装水上魚雷発射管を各1基配置していた。後甲板上には簡素な三脚式の後檣が立ち、後部12cm主砲が後向きに背負い式で2基配置された。他に日本製のシャム国海軍水上偵察機1機の搭載が可能であった。

1番艦メクロンは、第二次世界大戦後、魚雷発射管を撤去して対空火器を増強した[2]

同型艦

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日本の浦賀造船所で「メクロン(Maeklong)」として1935年(昭和10年)8月13日、契約締結[8]。1936年(昭和11年)7月24日、姉妹艦進水直後に、同船渠で起工[注釈 4]。同年11月27日、進水[10][注釈 5][注釈 6]。1937年(昭和12年)6月19日[13]、引渡し[注釈 3]石川島造船所で建造したタイ海軍の警備艇3隻[14]と共に離日したが[15]、衝突事故を起こしている[16]。アナンタマヒドン王やプーミポン王の御召艦として数回利用されたこともある。戦後には日本に来港したこともある。1996年7月25日に除籍、タイ海軍の軍艦として最年長になる59年の現役を果たした。プーミポーン国王の希望もあって除籍後、バンコク郊外のサムットプーラカーン県のポーム・プラチュンラチョームクラオ砲台の海岸で記念艦として展示保存されており無料で見学できる[注釈 7]。同砲台までの交通は、バンコクからBTSでパークナム下車、渡し船でチャオプラヤー河をプラサムット・チェーディー側に渡り、ここからタクシーで80バーツ程度。但し、帰りの足のために、タクシーを待たした場合は300バーツ程度。

日本の浦賀造船所で「ターチン(Tachin)」として1936年(昭和11年)3月17日に起工し[注釈 8]、日本海軍の将星出席のもと7月24日に進水した[注釈 9]。1937年竣工。6月19日、引渡し[13]。姉妹艦や警備艇3隻と共に離日[16]、日本列島各地や台湾を経由してタイに向かった[22]。1945年6月1日にサタヒップにて連合軍の航空攻撃により大破、1945年10月24日に解体処分。

注釈

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  1. ^ 日本からタイへの回航時、「ターチン」(士官11名、下士官兵78名、練習生20名)、「メイクロン」(士官11名、下士官兵33名、練習生58名)[3]
  2. ^ メクロン級の基準排水量約1,400トンは、神風型駆逐艦の基準排水量1,270トンや、睦月型駆逐艦の1,315トンを上回る。本級はスループに分類されているが、強力な兵装を備えており、小型駆逐艦と区分する場合もある[1]コルベットに分類されたこともある。
  3. ^ a b シャム軍艦引渡し[7] 浦賀ドツク會社で建造完成したシヤム國練習艦ターチン號及びメークロン號の兩艦は十九日午前七日半同ドツクの岸壁に係留した艦上で日暹兩國關係官立會の下に嚴かな引渡式を擧行した(記事おわり)
  4. ^ (東京廿四日同盟)[9] 友邦シャム國の海軍練習艦タイチン號の進水式は今朝浦賀ドツクで盛大に擧行同艦は二千四百噸、時速十七節、尚進水式に續き同號の姉妹艦メイクロン號の起工式も行はれた。(記事おわり)
  5. ^ 【横須賀二十七日同盟】[11] 浦賀ドツク會社で註文を受け建造中であつたシャム練習艦メークロン號(千四百トン)は二十七日午前午後三時ラクサ公使、シャム國海軍中佐以下關係者多數臨場、盛大な進水式を擧行した、同艦は去る七月二十四日起工され、進水まで僅か百二十七日といふ短時日、同會社で建造能力に全力をそゝいだ優秀船で、先に同ドツク會社で進水したターチン號の姉妹艦である(記事おわり)
  6. ^ 浦賀造船所では同年12月1日より駆逐艦」の建造を開始した[12]
  7. ^ 兵士が常駐し、機関室以外は船内を見学可能。艦橋、操舵室内部はレーダのスクリーンを除き、当時のまま保存されている[1]
  8. ^ 浦賀造船所では同年2月21日[17]駆逐艦山風」が進水したばかり[18]。また「涼風」が船台で建造中で[19]、翌年3月11日に進水した[20]
  9. ^ 【浦賀二十四日同盟】[21] 最近シャム國より日本に建造方を依頼されたシャム國海軍練習艦ターチン號は浦賀ドツクで建造中のところ、このほど建造を終へたので、二十四日午前八時より折から降りしきる雨をついてシャム國公使ラクサ氏以下在留シャム公官多數、ならびに日本側より永野海相代理として長谷川海軍次官、米内横須賀鎭守府長官ほか諸將星、寺島浦賀ドツク社長ら参列、めでたく進水式をおこなつた、同艦は排水量一四〇〇トン、速力十七ノツト、去る三月十七日起工以來わづか百三十日の短時間で進水し、超スピード建艦の輝かしい記録をとゞめた、また同日午前十時半から矢繼早に同艦の姉妹艦メークロンの起工式がおこなはれる(記事おわり)

出典

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  1. ^ a b c 『防衛技術ジャーナル』(一財)防衛技術協会、2021年1月号 p44-45
  2. ^ a b 『世界の艦船』(海人社)1982年11月号 p51・p102
  3. ^ 暹羅国軍艦浦賀繋留許可 1937, p. 18.
  4. ^ シヤム國軍艦十二隻 明年中に日本で建造 同國の海軍建設を極力援助”. Manshū Nichinichi Shinbun, 1936.08.04. pp. 01. 2024年9月22日閲覧。
  5. ^ 軍艦建造許可 1936, pp. 1–2.
  6. ^ 暹羅国軍艦浦賀繋留許可 1937, pp. 2–3.
  7. ^ 同盟旬報第1巻第01号(通号001号)」 アジア歴史資料センター Ref.M23070000200  p.37
  8. ^ 軍艦建造許可 1936, p. 7.
  9. ^ 暹羅の練習艦 進水”. Shin Sekai Asahi Shinbun, 1936.07.25. pp. 02. 2024年9月22日閲覧。
  10. ^ 軍艦建造許可 1936, p. 12.
  11. ^ シヤム練習艦メ號進水す 百二十七日に竣工”. Nippu Jiji, 1936.11.27. pp. 01. 2024年9月22日閲覧。
  12. ^ 艦船工事概括表認許の件 1937, p. 8.
  13. ^ a b 浦賀ドツグで建造 暹羅軍艦引渡完了 關係者整列引渡擧行廿五日頃横濱抜錨”. Nichibei Shinbun, 1937.06.20. pp. 03. 2024年9月22日閲覧。
  14. ^ 「第1607号 11.2.7軍艦建造許可出願の件」、公文備考 昭和11年 D 外事 卷6(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C05034830200 
  15. ^ 暹羅国軍艦浦賀繋留許可 1937, pp. 10–11.
  16. ^ a b 暹羅軍艦引返す 大島沖合で遼艦に接觸”. Nichibei Shinbun, 1937.07.24. pp. 05. 2024年9月22日閲覧。
  17. ^ 艦船工事概括表認許の件 1937, p. 6.
  18. ^ 驅逐艦山風の進水”. Shin Sekai Asahi Shinbun, 1936.02.22. pp. 03. 2024年9月22日閲覧。
  19. ^ 艦船工事概括表認許の件 1937, p. 7.
  20. ^ 「鈴風」進水”. Nippu Jiji, 1936.11.27Shin Sekai Asahi Shinbun, 1937.03.13. pp. 03. 2024年9月22日閲覧。(涼風の誤字)
  21. ^ 浦賀ドツク建造の暹羅國練習艦 百三十日間にて進水 超速度の建艦記録”. Nippu Jiji, 1936.07.24. pp. 11. 2024年9月22日閲覧。
  22. ^ 暹羅国軍艦浦賀繋留許可 1937, pp. 29–31.

参考図書

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  • 「Conway All The World's Fightingships 1860-1905」(Conway)
  • 『世界の艦船』(海人社)1982年11月号 p51・p102
  • アジア歴史資料センター(公式)
    • 『「第5481号 10.12.3 軍艦建造許可出願の件」、公文備考 昭和11年 D 外事 卷6(防衛省防衛研究所)』1936年。Ref.C05034829800。 
    • 『「第1126号 11.4.24 艦船工事概括表認許の件」、公文備考 昭和12年 F 艦船 巻1(防衛省防衛研究所)』1937年。Ref.C05110733200。 
    • 『「第3060号の2 12.6.11 暹羅国軍艦浦賀繋留許可方に関する件」、公文備考 昭和12年 D 外事 巻9(防衛省防衛研究所)』1937年。Ref.C05110739900。 

関連項目

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外部リンク

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