ムスタファー・アブーシャーグール
ムスタファー・アブーシャーグール(アラビア語: مصطفى ابوشاقور غيت ابوشاقور、1951年2月15日 - )は、リビアの政治家。2011年から2012年まで同国副首相を務めた。2012年9月12日に首相に指名されたが、組閣に失敗したため解任され副首相に戻った。
ムスタファー・アブーシャーグール مصطفى ابوشاقور غيت ابوشاقور | |
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生年月日 | 1951年2月15日(73歳) |
出生地 | トリポリ |
出身校 |
トリポリ大学 カリフォルニア工科大学 |
所属政党 | 無所属 |
内閣 | アル=キーブ内閣 |
在任期間 | 2011年11月22日 - 2012年11月14日 |
国民議会議長 | ムハンマド・ユースフ・エル=マガリエフ |
概要
編集ガルヤーン出身[1]。トリポリ大学で電子工学を学び、卒業後カリフォルニア工科大学へ。1977年に修士号、1984年には博士号を取得。
2011年のリビア内戦を契機にリビアへ帰国。リビア国民評議会に参加。
アブドッラヒーム・アル=キーブ内閣の下で副首相に就任。2012年、国民議会選挙後の首相選挙において96票を獲得、94票だった元首相のマフムード・ジブリールを抑え選出された。しかし地域間の対立などから組閣作業は難航を極め、29人からなる組閣人事案を議会に提出したが否決。改めて10人から構成される「危機管理内閣」を提出したが再び否決された。組閣期限の10月7日までに承認を得られなかったため、不信任案を可決され首相を解任された[2][3]。アル・キーブ政権そのものは信任されたため、アブーシャーグールは副首相にとどまった[4]。その後、改めて首相にアリー・ゼイダーンが指名され、組閣人事が10月31日に議会によって承認され、11月14日に政権が発足したことに伴い、副首相を退任した。後任としてサーディク・アブドゥルカリーム・アブドゥルラフマーンが第一副首相に就任した[5][6]。
出典
編集- ^ “النائب الاول لرئيس الوزراء”. الحكومة الليبية الانتقالي. 2012年11月4日閲覧。
- ^ “政治勢力対立・地域エゴ…リビア首相、組閣失敗”. 読売新聞. (2012年10月8日) 2012年10月8日閲覧。
- ^ “Libyan parliament votes to dismiss PM” (英語). Al Jazeera English (アルジャジーラ). (2012年10月7日) 2012年10月8日閲覧。
- ^ “リビア議会、新内閣の閣僚名簿を否決 首相解任”. CNN.co.jp (CNN). (2012年10月8日) 2012年10月8日閲覧。
- ^ “Zeidan presents government to Congress” (英語). Libya Herald. (2012年10月30日) 2012年11月1日閲覧。
- ^ “Zeidan government sworn in” (英語). リビア・ヘラルド. (2012年11月14日) 2012年11月23日閲覧。
公職 | ||
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先代 アリー・タルフーニ |
リビア暫定副首相 2011 - 2012 |
次代 サーディク・アブドゥルラフマーン (第一副首相) |