アリー・タルフーニ
アリー・アブドッサラーム・アッ=タルフーニー(アラビア語: علي عبد السلام الترهوني, ラテン文字転写: Ali Abdussalam Tarhouni、1951年[要出典]- )は、リビアの経済学者。現在、国民中間派党党首、アメリカ合衆国で経済学、財政学者として活躍。2011年3月23日より同国財政・石油大臣[1][2]。暫定副首相、暫定首相代行を歴任。夫人のメアリー・リーは弁護士でワシントン州司法長官。
アリー・タルフーニー علي ترهوني | |
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アリー・タルフーニー(2011年3月) | |
生年月日 | 1951年 |
出生地 | キレナイカ首長国、マルジュ |
出身校 |
リビア大学 ミシガン州立大学 |
前職 | 経済学者 |
所属政党 | 国民中間派党 |
配偶者 | メアリー・リー |
在任期間 | 2011年10月23日 - 11月24日 |
元首 | ムスタファ・アブドルジャリル |
在任期間 | 2011年10月2日 - 10月23日 |
暫定首相 | マフムード・ジブリール |
在任期間 | 2011年3月23日 - 11月22日 |
暫定首相 |
マフムード・ジブリール アブドッラヒーム・アル=キーブ |
在任期間 | 2011年3月23日 - 11月22日 |
暫定首相 |
マフムード・ジブリール アブドッラヒーム・アル=キーブ |
経歴
編集リビア大学(現在のトリポリ大学)で経済学を学んでいたが、カダフィ政権に対して自由と民主化を求める学生運動に参加した。当局による逮捕などを経て、1973年にアメリカ合衆国に亡命を余儀なくされた。さらに追い討ちをかけるように1978年にリビア市民権を剥奪され、本人不在のまま死刑判決を受ける。1981年にはリビア政府の危険人物リスト「死のリスト」に掲載された[1]。
亡命後もタルフーニーは研究を続け、1978年にミシガン州立大学から修士号、1983年には博士号を授与されている。1985年ワシントン大学フォスター経営大学院上級講師[3]。
2011年リビア内戦により同年3月23日にリビア国民評議会の財政・石油大臣に就任、10月より副首相を兼任し、マフムード・ジブリール暫定首相の退任に伴い、暫定首相代行を約1ヶ月の間務めた。10月23日国民中間派党を設立。
脚注
編集- ^ a b Tahim, Kareem (23 March 2011). “Rebel Insider Concedes Weaknesses in Libya”. New York Times
- ^ “The double life of a popular UW lecturer”. Seattle Times. (24 March 2011)
- ^ Lucas, Ryan (24 March 2011). “UW faculty member working with Libyan rebels”. Seattle Times
外部リンク
編集公職 | ||
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先代 マフムード・ジブリール |
リビア暫定首相代行 2011年 |
次代 アブドッラヒーム・アル=キーブ |
先代 アリー・アブドゥルアズィーズ・アル=イーサーウィー |
リビア暫定副首相 2011年 |
次代 ムスタファー・アブーシャーグール |
先代 (創設) |
リビア財務大臣 2011年 |
次代 ハサン・ジグラーム |
先代 (創設) |
リビア石油大臣 2011 年 |
次代 アブドッラフマーン・ビン・エッザ |