ミス・ワールド1970は、1970年11月20日、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールで開催された。ミス・ワールドの第20回記念の大会である[3]。58人の出場者がミス・ワールドのタイトルを争った。最終的にグレナダ代表のジェニファー・ホステンが優勝、ミス・ワールド1970となる[4]ミス・ワールド1969エヴァ・リューバー=シュタイアが出席し、優勝者の発表前にはダンスを披露したが、新しいミス・ワールドはボブ・ホープによって戴冠された。この大会は開催前、開催中、そして終了後も論争の的となった(後述)。

ミス・ワールド1970
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ジェニファー・ホステン(ミス・ワールド1970)
開催日 1970年11月20日
司会者 Michael Aspel, Keith Fordyce, Bob Hope[1][2]
会場 ロイヤル・アルバート・ホール
放送局 BBC
参加 58
入賞 15
初参加 アフリカ・サウス、グレナダ、モーリシャス
不参加 チリ、コスタ・リカ、チョコスロバキア、パラグアイ
再参加 セイロン、香港、イタリア、マレーシア、ポルトガル、プエルト・リコ、スペイン、タイ
優勝者 ジェニファー・ホステン
グレナダの旗 グレナダ
前回 1969
次回 1971

結果

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順位 出場者
Miss World 1970
1st runner-up
2nd runner-up
3rd runner-up
4th runner-up
Top 7
Top 15

[6]

出場者

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審査員

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今大会の審査員は9名[8][9]ジョーン・コリンズ(女優)、Roesmin Nurjadin(インドネシア大使)、Eric Gairy(グレナダ初代首相)、グレン・キャンベル(歌手)、Nina van Pallandt(歌手・女優)らが出場者のパフォーマンスを評価した[8][10]

論争

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南アフリカ共和国が白人(サウス・アフリカ)・黒人(アフリカ・サウス)二人の代表を派遣し、主催者サイドがこれを認めたことから今大会は開催前から論争にさらされた。決勝の夜にはBBCの屋外中継車の下で爆発物が爆発した。怒りの旅団が放映を阻止するために設置したものだが、この企ては失敗に終わった。負傷者はいなかった。観客はバリケードのむこうの騒々しいデモ隊を通り抜けてホールに入場した[11]

夕方にはウーマン・リブによる抗議もあった[12]。開催中に女性活動家らの投げつけた小麦粉爆弾は司会者のボブ・ホープを一瞬驚かせた[13][14]。この抗議活動は2020年の映画『彼女たちの革命前夜』の題材になった。

結果が発表されると、さらに大きな論争が巻き起こった。グレナダ代表のジェニファー・ホステンが優勝し、黒人女性として初めてミス・ワールドのタイトルを獲得するが、アフリカ・サウス代表は準優勝である。BBCや新聞社にはこの結果について数多くの抗議が寄せられた。9人の審査員のうち4人がスウェーデン代表に1位の票を与えたのに対し、グレナダ代表に1位の投票を行ったのは2人だけである。にもかかわらずスウェーデン代表は4位に終わった。グレナダ首相のエリック・ゲイリーが審査員団にいたことも問題視された(ゲイリーについては汚職や反社会的勢力との関りを伝える報道もある)[15][11]。このコンテストは出来レースであるという批判が多く寄せられ、結果を吟味すればポリコレへの過剰な忖度が読み取れる、白人出場者への差別は大会史上代表的なものだという指摘もあった。大会終了後、観客の一部はロイヤル・アルバート・ホールの外の通りに集まり「スウェーデン! スウェーデン!」と連呼した。4日後、主催者のジュリア・モーリーは新聞からの強い圧力により辞任した。

ジュリアの夫でミス・ワールドのフランチャイズを所有する会社(Mecca)の会長であるエリック・モーリーは、審査員らの投票用紙を公開し[16]、複雑な「多数決システム」について説明した。それによると、1位に投票した審査員はスウェーデン代表の方が多かったが、2位、3位、4位、5位に投票した審査員の数はジェニファー・ホステンが最多だった。その後、ジュリア・モーリーは復職した。しかし、エリック・ゲイリーが他の審査員に影響を与え、ホステンに実質を伴わない順位を与えさせたという見方も多い[11]

出典

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  1. ^ Rowan Pelling (2015年7月13日). “What's so wrong about being a beauty queen?”. telegraph.co.uk. 2016年3月27日閲覧。
  2. ^ “Miss World Gets Crown After the Dust Settles”. The Owosso Argus-Press: p. 1. (1970年11月21日) 
  3. ^ S. Chaudhuri (2006). Feminist Film Theorists: Laura Mulvey, Kaja Silverman, Teresa de Lauretis, Barbara Creed. Routledge Critical Thinkers. Taylor & Francis. p. 48. ISBN 978-1-134-34667-7 
  4. ^ Miss World Competition Through the Years”. eonline.com (2014年12月15日). 2020年6月25日閲覧。
  5. ^ “Miss World Crowned Amid Slogans, Bombs”. Times Daily: p. 8. (1970年11月21日) 
  6. ^ Miss World 1970”. pageantopolis.com. 2011年9月3日閲覧。
  7. ^ Drum: A Magazine of Africa for Africa. African Drum Publications. (1971) 
  8. ^ a b “Controversy Rages Over ‛Miss World'”. Daytona Beach Sunday News-Journal: p. 2. (1970年11月23日) 
  9. ^ “MISS WORLD CONTEST RESULTS EXPLAINED”. The Glasgow Herald: p. 11. (1970年11月25日) 
  10. ^ Tony Cozier (1970年11月24日). “Why the fuss? Miss Grenada logical choice”. The Ottawa Citizen: p. 59 
  11. ^ a b c Rob Baker (2015). Beautiful Idiots and Brilliant Lunatics: A Sideways Look at Twentieth Century London. Amberley Publishing. ISBN 9781445651194 
  12. ^ “Smoke And Stink Bombs Hurled By Fem Libs To Disrupt Pageant”. Daytona Beach Sunday News-Journal: p. 2. (1970年11月21日) 
  13. ^ Miss World 2006”. mw2006.pl. 2008年8月3日閲覧。
  14. ^ Last milestone on a record-breaking comedy Road ... Bob Hope dies at 100”. buzzle.com (2003年7月29日). 2004年6月21日閲覧。
  15. ^ Hugh O'Shaughnessy. “Obituary: Sir Eric Gairy”. independent.co.uk. 2012年11月2日閲覧。
  16. ^ Ricky Lo (2003年11月28日). “Misses World on stamps”. philstar.com. 2024年5月30日閲覧。

外部リンク

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