ミゲル・サンス
ミゲル・サンス・セスマ(Miguel Sanz Sesma, 1952年9月16日)は、スペイン・パンプローナ県コレーリャ出身の政治家。1996年から2011年までナバーラ州首相(レンダカリ)を務め、1997年から2009年までナバーラ住民連合(UPN)党首を務めた。
ミゲル・サンス Miguel Sanz | |
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生年月日 | 1952年9月16日(72歳) |
出生地 | スペイン、パンプローナ県コレーリャ |
出身校 | ナバーラ大学 |
前職 | 教師 |
所属政党 | ナバーラ住民連合(UPN) |
在任期間 | 1983年 - 1987年 |
在任期間 | 1996年 - 2011年 |
ナバーラ住民連合(UPN)党首 | |
在任期間 | 1997年 - 2009年 |
経歴
編集ナバーラ県の南部、トゥデラ近郊の町コレーリャに生まれた。初等学校の教師をしていたが、その後ナバーラ大学で経営学を学んだ。1983年から1987年には故郷のコレーリャ町長を務め、1983年以後にはナバーラ州議会議員に選出され続けている。1989年にはナバーラ住民連合(UPN)の副党首に就任し、1991年から1995年までナバーラ州首相を務めたフアン・クルス・アリの下では、ナバーラ州副首相を務めた。1996年にナバーラ州首相(レンダカリ)に就任し、1997年にはUPNの党首に就任した。2007年のナバーラ州議会選挙では、左翼政党とバスク民族主義政党が過半数の議席を獲得し、UPNは政権喪失の危機に立ったが、UPNはスペイン社会労働党(PSOE)との間で取り決めを行い、UPNはナバーラ民主集中との連立政権を組み、サンスがナバーラ州首相に、社会主義者のエレナ・トーレス・ミランダがナバーラ州議会議長に就任することで合意に達した。
2009年、12年間務めたUPN党首の座をジョランダ・バルシーナに譲った。2011年のナバーラ州議会選挙の際には、15年間務めた州首相に再立候補する意思がないことを表明[1]。UPNは州議会選挙に勝利し、後任の州首相には党首でもあるバルシーナが就任した。
政策
編集サンスはバスク民族主義に対して厳しい姿勢を取ることで知られ、また財政中心主義でも知られている。後者の立場は、UPNと提携関係にあった国民党との関係終結につながり、これによって2008年には、国民党のナバーラ州支部であるナバーラ国民党が復活した。
脚注
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