ジョランダ・バルシーナ

ジョランダ・バルシーナ・アングーロYolanda Barcina Angulo, 1960年4月4日 - )は、スペインブルゴス県ブルゴス出身の大学教員・政治家(女性)。1999年から2011年までパンプローナ市長を務めた。2009年から2015年までナバーラ住民連合(UPN)党首を務め、2011年から2015年までナバーラ州首相(レンダカリ)を務めた。

ジョランダ・バルシーナ
Yolanda Barcina
生年月日 (1960-04-04) 1960年4月4日(64歳)
出生地 スペインの旗 スペインブルゴス県ブルゴス
出身校 ナバーラ大学
前職 大学教員
所属政党 ナバーラ住民連合(UPN)

在任期間 2009年4月19日 - 2015年8月27日

在任期間 2011年5月22日 - 2015年6月16日
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経歴

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母親はビスカヤ県出身の教師であるマリア・ドローレス・アングーロ、父親はブルゴス県ブルゴス出身の農業・実業家のホセ・バルシーナであり、1960年にジョランダ・マルシーナはブルゴスに生まれた(一人娘)。幼少時に一家でビスカヤ県ポルトゥガレテに移り、その後17歳の時にナバーラ県パンプローナに引っ越した。バルシーナはナバーラ大学薬学を学び、1984年には執筆した論文が優秀な評価を得、博士号を取得している[1]

1988年バルセロナ自治大学の教員職(profesora titular)を得た。1990年にはバスク大学へ移り、そこで薬学部副学部長を務めた。1991年ナバーラ州立大学食品工学科に移り、1993年同大学の栄養学・栄養科学の正教授職(cátedra)となり、1995年から1996年の間学術事務手続き担当副学長を務め、現在同大学の社会評議会に参加している[1]

1996年にはナバーラ州政府のミゲル・サンス内閣で住宅・都市計画・環境大臣に就任。バルシーナはナバーラ州政府初の女性閣僚となった[2]。1999年にはパンプローナ市長に当選し、やはり女性として初めて同職に就くと、2003年、2007年に再選されて2011年まで務めた[2]。2003年にはナバーラ住民連合(UPN)の副党首に就任し、2009年にはサンスの後を継いで党首となった[3]。2011年のナバーラ州議会選挙の結果により、ナバーラ州首相(レンダカリ[4])に就任。女性がナバーラ州首相となるのはナバーラ州創設後初のことだった[2]

2012年にはナバーラ銀行スペイン語版から高額な金銭を得ていたとするスキャンダル(英語版)に巻き込まれた。2011年に16回開催された常設委員会に出席し、1回2時間の常設委員会に出席することで計4,577ユーロを得ていたというものである[5]。このスキャンダルが明るみに出た後、バルシーナはナバーラ州民に謝罪し、常設委員会の報酬を返金する意思を示した。なお、高額な報酬を得ていたバルシーナの行為について、スペイン最高裁判所は法的には無罪であるとしている。

2015年5月に行われたナバーラ州議会議員選挙では、ナバーラ住民連合が50議席中15議席を獲得して第1党となったものの、自治州首相指名投票では第2党のゲロア・バイ、第3党のエウスカル・エリア・ビルドゥ、第4党のポデーモスなどが協力して過半数の26票を確保し、ウシュエ・バルコス(ゲロア・バイ)を指名。17票に留まったバルシーナは自治州首相の座を退任した。ナバーラ住民連合党首の任期を2017年まで残していたが、バルシーナは2015年8月27日に辞任を表明し、ナバーラ州立大学の教員に復職した[6]。9月27日にはハビエル・エスパルサスペイン語版が後任の党首に就任している。

政策

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バルシーナはバスク民族主義政党に対して妥協せず、また環境問題では厳格な立場を取っている。イトイス貯水池、高速鉄道ピレネー山脈横断道路の建設のように、論争を呼ぶ土木計画を好む。これらの理由で、トゥールーズで行われた会議で顔にパイを投げつけられたことがある[7]。2001年にはサン・フェルミン祭エンシエロ(牛追い)について、動物愛護の点から開催反対の立場に立つ女優のペネロペ・クルスとディベートを行った[8]

脚注

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  1. ^ a b ナバーラ州政府. “Perfil biográfico de Yolanda Barcina”. 2014年12月31日閲覧。
  2. ^ a b c Former presidents”. ナバーラ州政府. 2015年9月30日閲覧。
  3. ^ Barcina optará a sustituir a Miguel Sanz al frente de UPN”. エル・パイス (2008年11月3日). 2015年10月30日閲覧。
  4. ^ レンダカリは「バスク自治州政府首班」を指すことが多いが、「ナバーラ州首相」を指す場合にも使用される。
  5. ^ “Caja Navarra pagó hasta 2.680 euros a cargos de UPN por reuniones de una hora”. エル・パイス (Madrid). (2013年3月7日). http://politica.elpais.com/politica/2013/03/07/actualidad/1362683681_364258.html 2015年10月30日閲覧。 
  6. ^ Yolanda Barcina anuncia su dimisión como presidenta de UPN”. プブリコ (2015年8月27日). 2015年8月27日閲覧。
  7. ^ "La presidenta de Navarra recibe tres tartazosプブリコ、2011年10月27日
  8. ^ Penelope Cruz pide a la alcaldesa de Pamplona que suprima los encierros y las corridas de toros de San Fermin ABC、2001年2月15日

外部リンク

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先代
ミゲル・サンス
  ナバーラ州政府首相
2009年-2015年
次代
ウシュエ・バルコス