マリア・アナ・デ・ブラガンサ
マリア・アナ・デ・ブラガンサ(ポルトガル語: Maria Ana de Bragança, 1843年8月21日 - 1884年2月5日)は、ザクセン王ゲオルクの妃。ドイツ語名はマリア・アンナ・フォン・ポルトゥガル(Maria Anna von Portugal)。
マリア・アナ・デ・ブラガンサ Maria Ana de Bragança | |
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出生 |
1843年8月21日 ポルトガル王国、リスボン |
死去 |
1884年2月5日(40歳没) ザクセン王国、ドレスデン |
埋葬 | ザクセン王国、ドレスデン、カトリック旧宮廷教会 |
配偶者 | ザクセン王ゲオルク |
子女 |
マリー・ヨハンナ エリーザベト マティルデ フリードリヒ・アウグスト マリア・ヨーゼファ ヨハン・ゲオルク マクシミリアン アルブレヒト |
家名 | ブラガンサ家 |
父親 | フェルナンド2世 |
母親 | ポルトガル女王マリア2世 |
生涯
編集ポルトガル女王マリア2世とその王配フェルナンド2世の娘として、リスボンで生まれた。
1859年5月11日、ベレン宮殿でザクセン王ヨハンの次男であるゲオルクと結婚した。2人の間には8子が生まれた。
- マリー・ヨハンナ(1860年 - 1861年)
- エリーザベト(1862年 - 1863年)
- マティルデ(1863年 - 1933年)
- フリードリヒ・アウグスト(1865年 - 1932年) - ザクセン王。
- マリア・ヨーゼファ(1867年 - 1944年) - オーストリア大公オットー・フランツ妃。オーストリア皇帝カール1世の母。
- ヨハン・ゲオルク(1869年 - 1938年)
- マクシミリアン(1870年 - 1951年)
- アルブレヒト(1875年 - 1900年)
夫が次男であったため、王位が回ってくることはないと思われていたが、夫の兄アルブレヒトと王妃カロラの間に子供がなかったため、1902年にゲオルクが即位した。1904年に長子フリードリヒ・アウグストが王位についた。