マラチオン
マラチオン(英語: Malathion)は有機リン・有機硫黄系殺虫剤の一種。別称マラソン。
マラチオン Malathion | |
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ジエチル 2-[(ジメトキシホスホロチオイル)スルファニル]スクシナート | |
別称 マラソン | |
特性 | |
化学式 | C10H19O6PS2 |
モル質量 | 330.36 g mol−1 |
外観 | 黄色ないし茶色の液体 |
密度 | 1.23 |
相対蒸気密度 | 11.4 |
融点 |
2.9°C |
沸点 |
156〜157°C |
水への溶解度 | 145 mg/L |
味 | 苦い |
危険性 | |
EU分類 | Xn C N |
主な危険性 | 標的臓器/全身毒性(単回暴露) 臓器(神経系)の障害(区分1) |
経口摂取での危険性 | 有害(区分4) 飲み込むと有害 |
呼吸器への危険性 | ー(分類できない) |
眼への危険性 | ー(区分外) |
皮膚への危険性 | 警告(区分1) アレルギー性皮膚反応を 引き起こすおそれ |
引火点 | 163 °C (325 °F; 436 K) |
半数致死量 LD50 | 1,390 mg/kg (ラット/経口) 1,500 mg/kg (マウス/経口) |
識別情報 | |
CAS登録番号 | 121-75-5 |
KEGG | D00534 |
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出典 | |
国際化学物質安全性カード | |
特記なき場合、データは常温 (25 °C)・常圧 (100 kPa) におけるものである。 |
1950年にアメリカンシアナミドが開発し[1]、日本では1953年(昭和28年)2月7日に農薬登録を受けた(シアナミドは、後のワイス、現ファイザー)。原体輸入量は207t、単乳剤生産量252kL、単粉剤生産量230t(いずれも1999年)。
用途
編集- 主に「マラソン」の名称で乳剤または粉剤として現在も農業生産分野や家庭園芸での害虫駆除のために一般的に用いられており、日本でも70年以上の使用実績がある信頼性の高い薬剤である。
- 接触性・浸透移行性の殺虫剤として、農耕地のアブラムシ・ハダニ類・カメムシ・カイガラムシ・ハマキムシ・イラガ・コガネムシ・ヨトウムシ・アザミウマ類などの害虫駆除に広く用いられる[2]。
- 長所として、1.多くの農作物と広範囲の害虫に対して適用登録がある。
- 2.即効性と浸透移行性があり、散布時に薬剤を直接害虫に当てなくても、一定の効果が期待できる。
- 3.低価格で家庭園芸用にも購入しやすい。
- 4.ヒトに対する毒性が低いため毒劇物指定されておらず、ホームセンターでも一般販売が可能。
- 短所としては 残効性が短く、薬剤が植物内に留まる時間が短い。このため薬剤を散布しても、再び害虫が発生する可能性がある[3]。
- 純粋なマラチオンは無臭であるが、マラソン乳剤に含まれるキシレン等の有機溶剤や、マラチオンが分解されて生ずるジメチルジサルファイドのため、農薬のマラソン乳剤は腐った卵の様な臭気を有する[4]。
アメリカでの使用
編集- 農業、住宅造園で殺虫剤として、公衆衛生では蚊の防除のため広く使用されている。
- 1980年代、チチュウカイミバエ防除ためにカリフォルニア州で使用された。数ヶ月の期間、郊外地域の近くに毎週、空中散布によって大規模に行われた。アラメダ郡、サンバーナーディーノ郡、サンマテオ郡、サンタクララ郡、サンホアキン郡、スタニスラウス郡、マーセド郡の郊外の一部の上空でも空中散布が行われた。
- 1981年後半にカリフォルニア州のチチュウカイミバエの発生で、これを駆除するため3600平方キロメートルにマラチオンを噴霧した。この安全性を実証するため、カリフォルニア保全隊の一人が希釈したマラチオンを飲み込んだ。
- 西ナイルウイルスを媒介する蚊の防除のため1999年秋と2000年春に、ロングアイランドとニューヨーク市の5つの地区に殺虫剤を噴霧した。
- 低用量(0.5%製剤)のマラチオンを含有するローションがアタマジラミと体のシラミ除去に使われている。アメリカ食品医薬品局によって承認されているが、新たにマラチオンに対して薬剤耐性を持つようになった難治性シラミの感染流行が懸念されている[9]。
カナダでの使用
編集カナダでは2005年7月に、マニトバ州ウィニペグで、西ナイルウイルスの感染防止キャンペーンの一環として、噴霧した。
オーストラリアでの使用
編集チチュウカイミバエに対処するために使用されている。
有害性
編集- 定められた正しい使用方法を守る限り、農作物や使用者への安全性は十分に確保されており、ヒトや農作物いずれにも危被害は生じない[10]。このため毒物などには指定されておらず[11]、ホームセンターや園芸店でも印鑑なしで購入可能である。
- マラチオンの毒性は、コリンエステラーゼ阻害作用による。マラチオンは、毒性の強いマラオクソンへ代謝されることで殺虫効果を発揮するが、ヒトを含む哺乳類ではマラオクソンへの代謝が少ないため、選択毒性を持つ。
基準値
編集日本の残留農薬基準値は、小麦、玉葱、カボチャなどで8.0ppm以下。それ以外の作物では0.1〜8.0ppm以下。
一日摂取許容量 (ADI) は、0.3mg/kg[12]。急性参照容量2mg/kg[12]。
中毒症状
編集有機リン剤に共通な、 アセチルコリンエステラーゼ阻害による中毒症状がみられる[12]。
- 軽症では、吐き気、嘔吐、唾液分泌過多、多量発汗、下痢、腹痛、倦怠感、頭痛[12]。
- 中等症では、上記に加え、縮瞳、筋線維性攣縮、言語障害、視力減退、徐脈[12]。
- 重症では、縮瞳、意識混濁、対光反射消失、肺水腫、血圧上昇[12]。
ほとんどの症状は数週間以内に治癒する傾向があるが、稀に死亡することもある。
- 可燃性(引火点163°C)であり、燃焼によりリン酸化物・硫黄酸化物を含む有毒ガスを生じる。
- 水生生物に対する毒性が強く、ミツバチなどにも影響を及ぼす。
- 鉄など一部の金属や、一部のプラスチックやゴムを浸食・劣化させる。
コリンエステラーゼ阻害作用
編集昆虫の体内に吸収されたマラチオンは、シトクロムP450による酸化的脱硫反応で、オキソン体のマラオクソンへと代謝される[13]。マラオクソンはコリンエステラーゼ阻害作用がマラチオンより強く、これにより殺虫剤として本来の毒性を発揮する。
哺乳類においても同様の代謝がある[14]が、カルボキシエステラーゼによるマラチオンの分解が速やかなため、マラオクソンへの代謝が少なく、毒性は低くなる[13]。一方、体外で生成されたマラオクソンに直接暴露すると、毒性が高い。アメリカ合衆国環境保護庁では、マラオクソンの毒性をマラチオンの61倍と評価している[15]。
発達神経毒性
編集FAO/WHO合同残留農薬専門家会議(JMPR)、内閣府食品安全委員会、農薬専門調査会は「発達神経毒性は認められない」と結論を出している[16]。アメリカ合衆国では「聴覚驚愕反射強度増大(PND23/24) 」としており、無毒性量が設定できなかったと報告している。
脳神経細胞への影響では、マラチオン(40mg/kg)を14日間投与したマウスは、樹状突起スパインの密度が有意に減少していたとの報告がある[17]。
ADHDとの関連
編集米国の子供を調査した結果、因果関係は不明であるものの、尿中のジアルキルリン酸塩濃度、特に代謝物のジメチルアルキルホスフェート (DMAP) 濃度と注意欠陥・多動性障害の診断率に関連が示された[18][19]。
発癌性
編集マラチオンは発癌性の有無がまだ分かってない。マラチオンは「発癌性を示唆する証拠がある」物質として、アメリカ合衆国環境保護庁によって分類されている[20]。メスのネズミに過剰な投与量した結果、肝臓癌が発生し、曝露後に発生したネズミの鼻腔に腫瘍ができた。
両生類への影響
編集2008年、ピッツバーグ大学によって行われた研究では、ヒョウカエルのオタマジャクシでは致死的であることを見出した。はるかにEPAによって設定された限界以下の濃度で5つの広く使われている殺虫剤(カルバリル、クロルピリホス、ダイアジノン、エンドスルファン、マラチオン)を組み合わせた場合、ヒョウカエルのオタマジャクシの99%が死亡したことが判明した。
事件
編集パキスタン
編集1976年、パキスタンでマラリアを媒介する蚊の防除で、DDTの代わりにマラチオンを散布した時に、不良品の製剤に微量含まれていた「イソマラチオン」という不純物が、マラチオンの低毒性の機構(カルボキシルエステラーゼによる解毒)を解除して、大規模な中毒事故が起こった。
食品への混入
編集2013年12月29日に、マルハニチロホールディングス子会社のアクリフーズ群馬工場(群馬県邑楽郡大泉町)で製造した冷凍食品から、マラチオンが検出されたことが発表され、冷凍食品の回収と群馬県庁による立ち入り調査、群馬県警察による捜査が行われた[21]。
出典
編集- ^ 山本亮「有機リン殺虫剤」『有機合成化学協会誌』第18巻第8号、有機合成化学協会、1960年、531-542頁、doi:10.5059/yukigoseikyokaishi.18.531。
- ^ 農林水産省 農薬登録情報提供システム「マラソン乳剤」
- ^ 産業用製品メーカー比較 Metoree「マラソン メーカー9社一覧」
- ^ Analyze J Net「第33回 農薬の臭いって何?」
- ^ “スミソン乳剤”. 農薬登録情報提供システム. 農林水産省. 2023年7月3日閲覧。
- ^ “トラサイドA乳剤”. 農薬登録情報提供システム. 農林水産省. 2023年7月3日閲覧。
- ^ “マラバッサ乳剤”. 農薬登録情報提供システム. 農林水産省. 2023年7月3日閲覧。
- ^ “ハクサップ水和剤”. 農薬登録情報提供システム. 農林水産省. 2023年7月3日閲覧。
- ^ 日経メディカル 2010.03/26「難治性のアタマジラミ駆除にイベルメクチン内服が有効」
- ^ JCPA農薬工業会「農薬はカラダに悪い?」
- ^ サンケイ化学「マラソン乳剤」
- ^ a b c d e f “マラチオンの概要について” (pdf). 内閣府 食品安全委員会 (2013年). 2016年8月10日閲覧。
- ^ a b Gervais, J. A.; Luukinen, B.; Buhl, K.; Stone, D. (2009年). “Malathion Technical Fact Sheet”. National Pesticide Information Center, Oregon State University Extension Services. 2017年6月16日閲覧。
- ^ Edwards 2009, p. 8.
- ^ Edwards 2009, p. 10.
- ^ “農薬評価書 マラチオン” (pdf). 内閣府 食品安全委員会 農薬専門調査会 (2014年2月). 2016年9月17日閲覧。
- ^ Campaña AD, Sanchez F, Gamboa C, Gómez-Villalobos Mde J, De La Cruz F, Zamudio S, Flores G. (2008-4). “Dendritic morphology on neurons from prefrontal cortex, hippocampus, and nucleus accumbens is altered in adult male mice exposed to repeated low dose of malathion.”. en:Synapse. 62 (4): 283-90. doi:10.1002/syn.20494. PMID 18240323 .
- ^ Bouchard MF, Bellinger DC, Wright RO, Weisskopf MG. (2010-6). “Attention-deficit/hyperactivity disorder and urinary metabolites of organophosphate pesticides.”. en:Pediatrics. 125 (6): e1270-7. doi:10.1542/peds.2009-3058. PMC 3706632. PMID 20478945 .
- ^ “Organophosphate Pesticides Linked to ADHD.”. en:Medscape Today. (2010年5月17日). 2016年8月10日閲覧。
- ^ Edwards 2009, p. 15.
- ^ 農薬混入は意図的か マルハ系冷食、群馬県警が捜査 日本経済新聞、2013年12月31日
参考文献
編集- 農薬毒性の事典(改訂版) 2002年 三省堂 ISBN 9784385356044
- 田中千賀子、加藤隆一 編集 『NEW薬理学 第4版』 南江堂 2002年 ISBN 9784524220830
- 今堀和友、山川民夫 編集『生化学辞典 第4版』 東京化学同人 2007年 ISBN 9784807906703
- Edwards, Debra (2009年). “Reregistration Eligibility Decision (RED) for Malathion”. United States Environmental Protection Agency. 2017年6月16日閲覧。