マット・エリオット
マシュー・スティーヴン・エリオット(英語: Matthew Stephen Elliott、1968年11月1日 - )は、スコットランドとイングランドの元サッカー選手、サッカー指導者。1998 FIFAワールドカップ・スコットランド代表。ポジションはDF。
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名前 | ||||||
本名 | マシュー・スティーヴン・エリオット | |||||
ラテン文字 | Matt Elliott | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
スコットランド イングランド | |||||
生年月日 | 1968年11月1日(56歳) | |||||
出身地 | ワンズワース | |||||
身長 | 191cm | |||||
体重 | 91kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF(CB) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
レザーヘッド | ||||||
1987-1988 | エプソム&イーウェル | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1988-1989 | チャールトン・アスレティック | 1 | (0) | |||
1989-1992 | トーキー・ユナイテッド | 124 | (15) | |||
1992 | → スカンソープ・ユナイテッド(loan) | 8 | (1) | |||
1992-1993 | スカンソープ・ユナイテッド | 53 | (7) | |||
1993-1997 | オックスフォード・ユナイテッド | 148 | (21) | |||
1997-2005 | レスター・シティ | 245 | (26) | |||
2004 | → イプスウィッチ・タウン(loan) | 10 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
1997-2001 | スコットランド | 18 | (1) | |||
監督歴 | ||||||
2011 | スタッフォード・レンジャーズ(代行) | |||||
2014 | アーミー・ユナイテッド | |||||
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クラブ歴
編集レザーヘッドFC、エプソム・アンド・イーウェルFCでサッカーを始め、チャールトン・アスレティックFCでプロとなった。しかしフットボールリーグ1部に所属するチャールトン・アスレティックではトップチームに割って入る事が出来ず、翌年に4部のトーキー・ユナイテッドFCに移籍。4部で試合に出続けチームを昇格させた。1992年3月に4部のスカンソープ・ユナイテッドFCに期限付き移籍、その後完全移籍。1993年11月にフットボールリーグ・チャンピオンシップ所属のオックスフォード・ユナイテッドFCに完全移籍。
1997年初めにプレミアリーグのレスター・シティFCに160万ポンドで完全移籍[1]。当時としては高額なこの移籍金額はオックスフォード・ユナイテッドにとっては史上最高額で、2016年にケマル・ルーフェが移籍するまで20年近く破られなかった[1]。同年にレスター・シティはEFLカップを優勝した[2]。その後は主力として活躍し、狐の尻尾とも称されたプレースタイルで、プレミアリーグでも有数の突破しにくいサイドを作り上げた。他方で規律の問題で物議を醸す事も多かったが[3]、それでもマーティン・オニール、ピーター・テイラー両監督は彼を中心選手として扱っていた。
2000年のEFLカップでは準決勝で得点をあげて決勝進出に貢献した他 [4]、決勝では2試合ともに得点を記録しタイトル獲得の立役者となった[5]。
オニール監督が2000年7月にセルティックFCに移籍のため退任すると、ニール・レノンやスティーヴ・グッピーのように彼もまた愛弟子としてセルティックから移籍のオファーが350万ポンドで来たが[6]、契約期間を2005年6月まで延長したために破談となった[7]。UEFA主催試合では2000年9月28日に行われたUEFAカップ 2000-01・レッドスター・ベオグラード戦が最後の試合となった[8]。
2004年にイプスウィッチ・タウンFCに期限付き移籍。その後レスターに復帰したものの、最後のシーズンは膝の怪我に悩まされ、出場も僅か3試合に止まり2005年1月を以て引退した[9]。
代表歴
編集1997年11月12日に行われたフランス代表との親善試合で代表初出場。1998 FIFAワールドカップのメンバーに選ばれたが本戦での出場機会は無かった。2000年10月7日に行われたサンマリノ代表戦でヘディングゴールで代表唯一の得点を記録した。代表最後の試合は2001年10月6日のラトビア代表戦であった。
指導歴
編集2008年6月9日、トーキー・ユナイテッド時代のチームメイトであるディーン・エドワーズが監督を務めるヘドネスフォード・タウンFCのコーチに就任。しかしプレーオフ圏外に終わり退任した。
その後、2010年10月までGNGオードビー・タウンFCのコーチ、その後はスタッフォード・レンジャーズFCのアシスタントコーチを務めた[10]。2011年1月11日に監督に昇格した[11]。
2014年1月、タイ・プレミアリーグのアーミー・ユナイテッドFCの監督に就任。アーミー・ユナイテッドは彼が長く在籍したレスター・シティの提携クラブである。半年の在籍でレスター・シティに移籍する事となり6月で退任した。
2015年9月にデ・モントフォート大学の男女両方のチームの監督に就任した[12]。
参考文献
編集- ^ a b Pritchard, David (7 July 2016). “Oxford United sell Kemar Roofe to Leeds United in deal believed to be close to £3m”. Oxford Mail 5 December 2016閲覧。
- ^ “Matt Elliott recalls Wembley glory of 15 years ago ahead of Capital One Cup final”. Sky Sports. (25 February 2015) 7 February 2017閲覧。
- ^ Webster, Rupert. “THE WRONG VICTIM?”. Sky Sports. 7 February 2017閲覧。
- ^ “Leicester book Wembley date”. BBC. (2 February 2000) 30 June 2015閲覧。
- ^ “Leicester triumph at Wembley”. BBC. (27 February 2000) 29 June 2015閲覧。
- ^ “Leicester expect Elliott to stay”. BBC Sport. (31 July 2001) 10 February 2009閲覧。
- ^ “Elliott decides to stay”. BBC Sport. (16 August 2001). オリジナルの17 January 2013時点におけるアーカイブ。 25 October 2009閲覧。
- ^ “Red Star end Leicester dreams”. BBC Sport. (28 September 2000) 27 September 2007閲覧。
- ^ “Elliott to retire”. BBC Sport. (31 January 2005) 25 October 2009閲覧。
- ^ “Flowers Brings in Former Team-Mate as Number Two”. Football Conference. (20 October 2010). オリジナルの30 November 2010時点におけるアーカイブ。 20 October 2010閲覧。
- ^ “Tim Flowers quits as Stafford Rangers manager”. BBC Sport. (11 January 2011) 19 January 2011閲覧。
- ^ “Leicester City legend Matt Elliott signs for DMU”. De Montfort University (25 September 2015). 29 April 2016閲覧。