マスカラ (アルジェリア)
マスカラ(Mascara)はアルジェリアの都市。アルジェリア北西部に位置し、マスカラ県の県都に定められている。アラビア語ではムアスカル(معسكر、Mu'askar)といい、「軍事基地」を意味する[1]。2008年当時の人口は約150,000人[1]。
マスカラ معسكر | |
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マスカラ県内のマスカラの位置 | |
北緯35度24分 東経0度8分 / 北緯35.400度 東経0.133度 | |
国 | アルジェリア |
県(ウィラーヤ) | マスカラ県 |
等時帯 | UTC+1 (+1) |
19世紀にマスカラはフランスによるアルジェリアの植民地化に抵抗したアブド・アルカーディルの拠点となった。
地理
編集マスカラは地中海から約60km南[1]、アトラス山脈の南麓[1]、ベニ=ショウグラン山脈とオラン石灰岩台地の中間に位置する[2]。アルジェリアの他の都市とは鉄道・自動車道で接続され、交通の要衝となっている。北東65kmにルリザンヌ、南西90kmにシディ・ベル・アッベス、北西105kmにオラン、南80kmにサイダが位置する。
マスカラはフランスによって建設された北東部の新市街と、北西部の旧市街の2つの区域に分かれている。
歴史
編集1701年に建設されたオスマン帝国の軍事基地がマスカラの町の始まりである[1]。1708年にベイ(知事)のムスタファ・ベン・ユースフに率いられたマスカラの人間はスペインの支配下に置かれていたオランを制圧し、オランからスペイン人を追放したが、1732年にオランはスペインに奪回される。
1832年、アルジェリア独立運動を指導するアブド・アルカーディルはマスカラを本拠地に定める[1]。1835年にマスカラはフランス軍によって破壊され、1841年に町は完全にフランスの統制下に置かれる。
経済
編集皮革製品、穀物、オリーブ油の商取引の中心地であり、ワインの製造も活発である[1]。コトー・ド・マスカラ、ドメヌ・エル・ボルジュ、ドメヌ・セラトナ、ドメヌ・マムヌアなどのワインが製造されている[4]。
姉妹都市
編集主な出身者
編集脚注
編集- ^ a b c d e f g 飯山 2012, p. 943
- ^ 野沢 1974, p. 1250
- ^ D. Benouar, A. Aoudia, S. Maouche, M. Meghraoui (November 1994). “The 18 August 1994 Mascara (Algeria) earthquake—a quick‐look report” (英語). John Wiley & Sons, Inc.. 2014年7月18日閲覧。
- ^ 私市 2009, p. 345
- ^ “Kardeş Şehirler”. Bursa Büyükşehir Belediyesi Basın Koordinasyon Merkez. Tüm Hakları Saklıdır. 2013年7月27日閲覧。
参考文献
編集- 飯山陽「マスカラ」『世界地名大事典 3』 中東・アフリカ、朝倉書店、2012年11月。ISBN 978-4-254-16893-8。
- 私市正年 編著『アルジェリアを知るための62章』明石書店〈エリア・スタディーズ 73〉、2009年4月。ISBN 978-4-7503-2969-7。
- 野沢秀樹「マスカラ」『世界地名大事典 8』 アジア・アフリカ 3、朝倉書店、1974年4月。