マイケル・ボルトンMichael Bolton1953年2月26日 - )は、アメリカ合衆国出身のミュージシャンシンガーソングライター

マイケル・ボルトン
Michael Bolton
スペイン・バルセロナ公演(2010年1月)
基本情報
出生名 Michael Bolotin
生誕 (1953-02-26) 1953年2月26日(71歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
コネチカット州ニューヘイブン
ジャンル ソフトロック
ポップロック
ブルー・アイド・ソウル
AOR
ハードロック (初期)
職業 ミュージシャンシンガーソングライター
担当楽器 ボーカルギター
活動期間 1975年 -
レーベル RCAレコード
コロムビア・レコード
ソニー・クラシカル
ジャイヴ・レコード
Passion Group
コンコード・レコード
Universal Motown Records
Mointaigne
レガシー・レコーディングス
フロンティアーズ・レコード
共同作業者 ブラックジャック
公式サイト michaelbolton.com

ハードロックバンドボーカリストとして頭角を現し、ソロ活動後はブルー・アイド・ソウルバラード曲のヒットで大きな成功を収めた。1990年、1991年『グラミー賞』受賞。

概要

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1980年代から1990年代のアメリカのアダルト・コンテンポラリーチャートを賑わせた、当時のアメリカを代表するアダルト・コンテンポラリーのシンガーの1人である。

1990年代からは三大テノールや、ルネ・フレミングとの共演などジャンルにとらわれない活動をしている。

売り上げは全世界で7500万枚以上、ビルボードチャートで8枚のアルバムがトップ10、2枚のシングルがトップになっているヒット歌手である。 主な受賞歴では、アメリカン・ミュージック・アウォーズを6回受賞していることやグラミー賞に4回ノミネートされ、2回受賞などがある。 その他の受賞歴も多数。

日本では「バラードの貴公子」や「バラードの帝王」などと呼ばれ親しまれている。2015年3月現在、彼の公式フェイスブックに「いいね」をしている人の数は192万人を超え、今なお、根強い人気があることが窺える。

来歴

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グラミー賞授賞時 (1990年)

1953年2月26日、コネチカット州ニューヘイブンロシア系ユダヤ人の家庭に生まれる。幼少期よりサクソフォーンを嗜み、11歳から12歳の頃には作曲もするようになっていた。やがてクラブなどで歌い始めた彼は15歳の時に初めてのレコード契約をエピック・レコードと結ぶ。この時は本名のマイケル・ボロティンの名義で、2枚のシングルをリリースしたがヒットには結びつかずドロップされる。その後、RCAレコードと契約して2枚のアルバムをリリースするが、これも大きな成果にはならなかった。

ヒットに恵まれなかったためソロ活動をやめ、1970年代末に新たにハードロックバンド「ブラックジャック」をブルース・キューリックらと結成。ポリドール・レコードと契約して1979年にデビューする。バンドは『ブラックジャック』『ワールズ・アパート』と合計2枚のアルバムを発表、オジー・オズボーンとツアーを行うなど積極的な活動をするものの、短命に終わる。

再びソロ・アーティストに戻ってコロムビア・レコードと契約し、名義をマイケル・ボルトンに変更してアルバム『マイケル・ボルトン』(1983年)を発表。当時の邦題は『大いなる挑戦』で、キャッチコピーは「ひとりメタル」であった。

同時期に他の歌手への提供曲も手がけるようになった。ローラ・ブラニガンの「ウイズアウト・ユー (How Am I Supposed to Live Without You)」(1983年)は彼にとって初めてのメジャー・ヒット作品になり、ポップ・チャート最高12位、アダルト・コンテンポラリー・チャートでは3週連続トップという大ヒットになった。以後もバーブラ・ストライサンドキッスケニー・ロジャースケニー・Gピーボ・ブライソンパティ・ラベルなどに曲を提供している。

アルバム『いざないの夜』(1987年)ではハードロック的要素を避け、オーティス・レディングの「ドック・オブ・ベイ」をカバーして自分のルーツを明らかにした。この曲はトップ40に入り、後の大ヒットへの足掛かりになる。

転機になったのはアルバム『ソウル・プロバイダー』(1989年)で、初のトップ10入り、400万枚を超える売り上げになり、シングルも5曲がトップ40入りした。特にセルフ・カバーした「ウイズアウト・ユー」は初のナンバー・ワン・シングルになり、グラミー賞では「Best Male Pop Vocal Performance」を授与された。続く『タイム、ラブ・アンド・テンダネス』(1991年)も売り上げが600万枚を超えるヒットになり、パーシー・スレッジのカバー曲「男が女を愛する時」(2度目のグラミー賞受賞)を含む4曲のヒット・ソングが生まれた。しかし「ラブ・イズ・ア・ワンダフル・シング」がアイズレー・ブラザーズに著作権侵害で訴えられてしまう。

以後もカバー曲集やオリジナル・アルバムがいずれも数百万枚の売り上げ、トップ10に入るシングルヒットも多数出し続けている。さらに音楽活動と並行して1993年に「Michael Bolton Foundation(現在のMichael Bolton Charities, Inc.)」という基金を設立。貧困心理的虐待身体的虐待性的虐待に苦しむ人たちを援助し、370万ドルを超える額を供与しているなど、様々なボランティアを務めている。

人物・私生活

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様々なアーティストとの共演

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多くのアーティストとの共演も積極的に行っている。主な共演では以下が知られており、ジャンルを超えた様々なアーティストとの共演を行っている。

ディスコグラフィ

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スタジオ・アルバム

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  • Michael Bolotin (1975年)
  • Everyday of My Life (1976年)
  • 『マイケル・ボルトン』 - Michael Bolton (1983年) ※旧邦題『大いなる挑戦』
  • 『エブリバディズ・クレイジー』 - Everybody's Crazy (1985年) ※旧邦題『クレイジー・ガイ』
  • 『いざないの夜』 - The Hunger (1987年)
  • 『ソウル・プロバイダー』 - Soul Provider (1989年)
  • 『タイム、ラブ・アンド・テンダネス』 - Time, Love & Tenderness (1991年)
  • 『タイムレス・クラシックス』 - Timeless: The Classics (1992年)
  • 『ワン・シング』 - The One Thing (1993年)
  • 『追憶のクリスマス』 - This Is the Time: The Christmas Album (1996年)
  • 『オール・ザット・マターズ』 - All That Matters (1997年)
  • 『シークレット・パッション』 - My Secret Passion (1998年)
  • 『タイムレス・クラシックス (vol. 2)』 - Timeless: The Classics Vol. 2 (1999年)
  • 『オンリー・ア・ウーマン・ライク・ユー』 - Only a Woman Like You (2002年)
  • 『ヴィンテージ』 - Vintage (2003年)
  • 'Til the End of Forever (2005年)
  • 『ザ・セカンド・タイム・アラウンド〜シナトラに捧ぐ』 - Bolton Swings Sinatra (2006年)
  • One World One Love (2009年)
  • 『デュエッツ』 - Gems: The Duets Collection / Duette (2011年)
  • Ain't No Mountain High Enough–Tribute to Hitsville (2013年)
  • 『ソングス・オヴ・シネマ』 - Songs of Cinema (2017年)
  • 『ア・シンフォニー・オブ・ヒッツ』 - A Symphony of Hits (2019年)

コンピレーション・アルバム

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  • 『アーリー・イヤーズ』 - The Early Years (1990年)
  • The Artistry of Michael Bolotin (1993年)
  • 『グレイテスト・ヒッツ 1985-1995』 - Greatest Hits (1985-1995) (1995年)
  • 『はじめてベスト〜Mighty 80's』 - Collections (2006年)

シングル

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ブラックジャック

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  • 『ブラックジャック』 - Blackjack (1979年)
  • 『ワールズ・アパート』 - Worlds Apart (1980年)

日本公演

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3月16日,17日 国立代々木競技場第一体育館、19日 東京ベイN.K.ホール、22日 大阪城ホール
5月30日 中野サンプラザホール
10月19日 東京国際フォーラム・ホールA David Foster & Friends Japan Tour 2011
10月29日 オーチャードホール、10月30日サンケイホールブリーゼ MICHAEL BOLTON JAPAN TOUR 2012

関連項目

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脚注

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  1. ^ 「デスパレートな妻たち」のニコレット・シェリダン、マイケル・ボルトンとの婚約を解消”. シネマトゥデイ (2008年8月28日). 2017年12月3日閲覧。
  2. ^ マイケル・ボルトン、16年ぶりの来日公演が決定”. CDjournal (2010年3月24日). 2017年12月3日閲覧。
  3. ^ マイケル・ボルトン、一夜限りの東京&大阪スペシャル公演”. BARKS (2012年10月29日). 2017年12月3日閲覧。

外部リンク

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