ボーン・上田記念国際記者賞

ボーン・上田記念国際記者賞(ボーン・うえだきねんこくさいきしゃしょう)は1950年に創設されたジャーナリズム

概要

編集

1949年1月30日、親友同士であったUPI通信社極東担当副社長マイルス・ボーンと元電通社長の上田碩三東京湾浦安沖へ船で鴨猟に出かけたが、大波に飲まれ遭難し他3名と共に死亡した。

第二次世界大戦前、戦後と国際報道に貢献した二人の死を悼み、更にはその業績を顕彰しピューリッツァー賞にならい国際報道に貢献した報道者を表彰することを鈴木文史朗が提案、その構想を受け賞の制定に動いた高田元三郎ほか長谷川才次本田親男吉田秀雄高石真五郎松方三郎など日米のマスコミ有志が発起人となり設けられた[1]

当初は日本新聞協会が運営していたが、1960年に資金難の為「ボーン・上田記念国際記者賞選考委員会」を独立して設け、UPI通信、電通がその維持費を負担した。1985年には、在京の新聞社8社(朝日新聞社毎日新聞社読売新聞社日本経済新聞社産業経済新聞社東京新聞社共同通信社時事通信社)と電通が資金を寄付しその活性化を図った。

2013年、賞の運営業務は日本新聞協会から 公益財団法人 新聞通信調査会 に移管され、賞の選考は「ボーン・上田記念国際記者賞委員会」、運営業務は新聞通信調査会が担っている[2]

受賞者一覧

編集

ボーン国際記者賞

編集

ボーン・上田国際記者賞

編集

脚注

編集
  1. ^ 高田元三郎『記者の手帖から』277頁「ヴォーン賞の創設」、時事通信社、1967年
  2. ^ ボーン・上田記念国際記者賞 - 公益財団法人新聞通信調査会


外部リンク

編集