ボソ (プロヴァンス王)
ボソ(Boso, ? - 887年)は、ボゾン家出身のフランク人貴族。カロリング朝の親戚[1]であり、プロヴァンス王(在位:879年 - 887年)。父はロタリンギアの伯であるビヴィン・ド・ゴルズ。おばのテウトベルガはロタリンギア王ロタール2世の妻。ボソは又、イタリアの伯であり彼の名の元となったボソの甥であり、サンモーリス修道院長であるフクベルトの甥でもある。869年にフクベルトから修道院長を相続した。
ボソ Boso | |
---|---|
プロヴァンス王 | |
ボソ王と聖ステファノ (シャリリュー修道院のフレスコ画) | |
在位 | 879年 - 887年 |
出生 |
841/4年 |
死去 |
887年1月11日 ヴィエンヌ |
配偶者 | 名前未詳の女性 |
エルマンガルド | |
子女 |
ウィラ エルメンガルド エンゲルベルガ ルイ3世 |
家名 | ボゾン家 |
父親 | ビヴィン・ド・ゴルズ |
母親 | リシルド・ダルル |
宗教 | カトリック教会 |
シャルル禿頭王への奉仕
編集870年、西フランク王シャルル2世(禿頭王)はボソの妹リシルドと結婚した。ボソは、この結婚後、王である義兄に臣従した。同じ年、ボソはジラール・ド・ルシヨンに代わり、リヨンおよびヴィエンヌ伯に任命された。
872年、シャルル2世はボソを王位継承者であるルイ2世の執事および護衛長に任命した。さらにボソはブールジュ伯にも任命された。ルイ2世はアキテーヌの副王として君臨したが、若年であったため、王国の政治を行なったのはボソであった。
875年の秋、ボソはシャルル2世のイタリアへの最初の軍事行動に従軍した。876年2月、パヴィーアの議会でイタリアの首位の大臣および総督に任命され、公に格上げされた。彼はおそらくまたプロヴァンスの支配を託された。彼は副王として振る舞い、ローマ皇帝ロドヴィコ2世の唯一の娘エルマンガルドと結婚することで、ますます威信を高めた。
支持を失う
編集877年、ボソはシャルル2世のイタリアへの二度目の軍事行動に賛同せず、同じ意見を持つ貴族達と共謀してシャルル2世を打倒しようとした。10月にシャルル2世が死亡した後、共謀した貴族達はシャルル2世の息子に強制して、彼らの権利と特権を承認させた。
ボソはまた、教皇と親密な関係を築き、教皇ヨハネス8世を878年9月トロワまで送った。教皇はそこで西フランク王ルイ2世(吃音王)に対し、イタリアでの支援を要請した。教皇はボソを養子として迎えた。そしておそらく、ルイ2世を皇帝として戴冠することを申し出た。ヨハネス8世はボソを戴冠することを希望していたと言われている[2]。
独立した統治
編集879年4月、ルイ2世は死に、二人の成人した息子、ルイとカルロマンを残した。ボソは他の西フランク貴族と共に、ルイを単独の王とすることを主張したが、結局ルイとカルロマンの二人が王に選ばれた。しかしボソは、二人の王に忠誠を誓うことを拒否し、「Dei gratia id quod sum(神の恩寵により、それは私自身である)」という形式を用いて、7月に独立を宣言した。ボソは又、皇帝である義理の父が、彼を後継者として指名していたと主張した。879年10月15日、マンタイユ教会会議に集められたローヌ川およびソーヌ川流域の司教・貴族達は、ボソをルイ2世の後継者たる王に選出した。ボソは、以後1世紀以上に渡って西ヨーロッパに出現するカロリング朝以外の王の最初の例となった[3]。この出来事は、フランク族の間での、王の家系を考慮しない自由選挙の最初の出現となった。これは聖職者の選挙における教会法上の原理(不変の慣習ではない)によって示唆させられたものだった。
ボソの王国は、普通はプロヴァンス王国と呼ばれ、アルル、エクス=アン=プロヴァンス、ヴィエンヌ、リヨン(ラングルを除く)、おそらくブザンソンの各大司教管区、そしてタランテーズ、ユゼス、ヴィヴィエの各司教管区から構成された。
ルイ3世とカルロマンの兄弟は880年3月にアミアンで父の王国を分割した後、共同してボソに対して軍を進め、マコンやボソの領地の北方の一部を奪った。また、彼らは東フランク王カール3世とも協力してヴィエンヌを8月から11月まで包囲したが、失敗に終わった。 882年8月、ボソはヴィエンヌにおいて弟オータン伯リシャール(正義公)により包囲され、9月にヴィエンヌはリシャールに占領された。この後、ボソは自領の大部分を回復させることができず、ヴィエンヌ周辺のみにとどまった。
ボソは887年に死去し、息子のルイ(のちの盲目王)が跡を継いだ。
子女
編集ボソは二度結婚している。最初の妻については未詳。1女がいる。
脚注
編集- ^ 彼の母の父ボソの娘で、伯母にあたるテウトベルガは、ロタリンギア王ロタール2世妃となった (Constance B. Bouchard, "The Bosonids or Rising to Power in the Late Carolingian Age" French Historical Studies 15.3 (Spring 1988, pp. 407-431) genealogical table, p.409.
- ^ Caravale, Mario (ed). Dizionario Biografico degli Italiani: LXI Guglielmo Gonzaga – Jacobini. Rome, 2003.
- ^ Bouchard, Constance Brittain (Spring 1988). The Bosonids or Rising to Power in the Late Carolingian Age. French Historical Studies. 15 (3 ed.). Society for French Historical Studies. pp. 407–431
- ^ Riché, Pierre (French). Les Carolingiens: Une famille qui fit l'Europe. Hachette Littérature. p. genealogical table XII (Bosonides). ISBN 978-2010097379
関連項目
編集
|
|