シャロン伯
シャロン伯(Comté de Chalon)は、フランスの伯爵。伯領はシャロン=シュル=ソーヌを首都とし、10世紀半ばに成立した。1237年に、最後のシャロン伯(兼オーソンヌ伯)ジャン1世が、シャロンとオーソンヌをサラン(Salins)と交換し、2つの伯領がブルゴーニュ公領となるまで続いた。
シャロン伯一覧
編集- アダラール 763/5年に活動が確認[1]
- ゲラン1世(ワラン1世)(Warin Ier d'Auvergne) - シャロン伯(760年頃生 - 819年以降)、オーヴェルニュ伯
- ゲラン(ワラン) - シャロン伯(825年以前 - 853年)、オーヴェルニュ伯、オータン伯、マコン伯、ディジョン伯、アルル伯、プロヴァンス公
- イザンバール(Isembard) - シャロン伯(853年 - 858年)、オータン伯、マコン伯、ディジョン伯
- アンフリ シャロン伯(858年 - 863年) - オータン伯、マコン伯、ディジョン伯
- エシャール(Ecchard) - シャロン伯(863年 - 876/7年)、858年サンス(Sénonais)に派遣、863年シャロン辺境伯に派遣、873年オータンおよびマコンに派遣、ニーベルング家。
- ボソ5世 - プロヴァンス王
- マナセ1世(Manassès Ier) - シャロン伯(875年頃 - 918年)、ボソ5世の娘エルメンガルドと結婚
- ジルベール(956年没) - マナセ1世とエルメンガルドの子、シャロン伯(918年 - 956年)、オータン伯、ブルゴーニュ公(952年 - 956年)
- アデライード・ド・ブルゴーニュ - ジルベールの娘、シャロン伯領相続人、ロベール・ド・ヴェルマンドワおよびランベール・ド・シャロンと結婚
- ロベール・ド・ヴェルマンドワ - モー伯、トロワ伯(943年- 967年)、シャロン伯(956年 - 967年)、アデライード・ド・ブルゴーニュと結婚
- ランベール - オータン伯、シャロン伯(967年 - 978年)、アデライード・ド・ブルゴーニュと結婚
- ジョフロワ1世 - アンジュー伯、シャロン伯(978年 - 987年)、アデール(アデライード)・ド・ヴェルマンドワと結婚、のちアデライード・ド・ブルゴーニュと結婚
- ユーグ1世 - ランベール・ド・シャロンとアデライード・ド・ブルゴーニュの子、シャロン伯(987年 - 1039年)
- ティボー - マティルドとジョフロワ1世・ド・スミュールの子、シャロン伯(1039年 - 1065年)(スミュール家)、1019年頃にユーグ1世の娘と思われるエルマントルド・ドータン(Ermentrude d'Autun)と結婚。
- ユーグ2世 - ティボーの子、シャロン伯(1065年 - 1078/80年)
- マティルド - ユーグ2世の姉妹、伯父ドンジー卿ジョフロワ2世・ド・スミュールの子である従兄エルヴェ・ド・ドンジーと結婚
- ジョフロワ2世(1111年没) - マティルドとエルヴェ・ド・ドンジーの子、シャロン伯(1078/80年 - 1096年)
- アデライード - マティルドの姉妹、ギヨーム・ド・ティエール(Guillaume de Thiern、1075年以前没、ティエール家(de))と結婚
- ギー・ド・ティエール(1113年頃没) - アデライードとギヨーム・ド・ティエールの子、シャロン伯
- ギヨーム1世 - ギーの子、シャロン伯(1113年/1171年)
- ギヨーム2世(1203年没) - ギヨーム1世の子、シャロン伯
- ベアトリス(1227年没) - ギヨーム2世の娘、シャロン女伯(1203年 - 1227年)、オーソンヌ伯エティエンヌ2世(1240年没、アンスカリ家)と結婚
- ジャン1世(1267年没) - ベアトリスとエティエンヌ2世の子、オーソンヌ伯およびシャロン伯(1213年 - 1237年)
1237年6月15日、ジャン1世は自身の持つオーソンヌとシャロン=シュル=ソーヌの2つの伯領と、ブルゴーニュ公ユーグ4世の持つサラン領とを交換し、支配の中心をポンタルリエとサン=クロードの間の地域に移した。
参考文献
編集- Martine Chauney: Chalon-sur-Saône. In: Lexikon des Mittelalters. Bd. 2, dtv, München 2002