ホープ軒

日本の東京都渋谷区にあるラーメン店、およびその運営会社

ホープ軒(ホープけん)は、東京都渋谷区千駄ヶ谷に店舗を構えるラーメン店「ラーメンの店 ホープ軒」、およびそれを運営する企業。東京都中野区野方に支店「環七丸山店」をもつ。

株式会社ホープ軒
店舗外観
現店舗
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
150-0001
東京都渋谷区神宮前2丁目31番8号
設立 1960年(昭和35年)[1]
業種 小売業
法人番号 2011001021577 ウィキデータを編集
代表者 牛久保英昭
外部リンク http://www.hopeken.co.jp/
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ホープ軒のラーメン

沿革

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牛久保英昭は、1945年昭和20年)3月10日東京大空襲後に岐阜県に引っ越し、中学卒業後、パン職人などを目指したが、最終的に東京でラーメン屋台をやることを選ぶ[2]。赤羽でラーメン屋台を始めるが、屋台募集の広告を見て、現在の吉祥寺ホープ軒本舗難波二三男から屋台を借りラーメン屋台を始める[3][注釈 1]高田馬場を振り出しに銀座新橋を経て内幸町日本放送協会前に屋台を構える[2]。昼夜屋台を開け約500杯の売り上げを記録したこともあるという[2]。量をさばくためにプロパンガスを導入、麺や調理器具をトラックで運んだ[2]1962年(昭和37年)頃には背脂を入れる現在のスープの形を完成させる[2]

1975年(昭和50年)、現在地の千駄ヶ谷に店を構える[2]。メインの客であるタクシー運転手が素早く食べられるように、1階は立食式にした[2]。牛久保が屋台をやめ、店舗を構えた際に、後に繁盛した渋谷区恵比寿香月や、らーめん弁慶の店主となる人物らが手伝っていた屋台から独立した[3][4][5]。また土佐っ子もここから独立したとされる[5]1980年(昭和55年)頃には漫画家横山泰三がホープ軒のシンボルマークを描いた[2]

挿話

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  • かつては、東京都港区南麻布にも支店(古川橋店)を持っていたが、現在閉店[3]。豚骨ベース醤油の「背脂チャッチャ系ラーメン」[注釈 2]の元祖の一つとされる[5][7][8]
  • 社長は牛久保英昭[2]
  • 似た名前のラーメンチェーン店「野方ホープ」とは全くの別会社。「ホープ軒本舗」は独立前に屋台を貸してもらっていた関係。しかし南麻布にあった支店が野方に移転したため、関係が無いにもかかわらず、店舗名から誤認が続く状態にある[要出典]

脚注

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注釈

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  1. ^ 故にホープ軒本舗直系ではないものの、提供されるラーメンのルーツはホープ軒本舗にあるといえる。
  2. ^ 背油をかける動作からこのような名前が付いたとされる[6]

出典

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  1. ^ 今までとこれから”. ホープ軒. 2019年4月11日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i ラーメン一筋58年 ホープ軒こってり東京五輪物語”. 日刊スポーツ (2018年11月1日). 2019年4月10日閲覧。
  3. ^ a b c 千駄ヶ谷の生ける伝説「ホープ軒」、元祖・背脂こってりラーメン誕生の秘密に迫る”. ホットペッパーグルメ (2018年3月14日). 2019年4月10日閲覧。
  4. ^ 下町の行列店「らーめん弁慶」76歳オーナー“生涯現役”の秘訣(ひけつ)は、自慢の背脂ギタギタこってり味にあった!?”. ホットペッパーグルメ (2019年1月10日). 2019年4月10日閲覧。
  5. ^ a b c 『日本ラーメン秘史』ISBN 9784532260811 大崎裕史日本経済新聞出版社、2011年、28頁
  6. ^ 90年代に一世を風靡した“背脂チャッチャ系”ラーメンとは?”. エキサイトニュース (2016年9月23日). 2019年4月10日閲覧。
  7. ^ 日本のラーメンの歴史”. 新横浜ラーメン博物館. 2019年4月10日閲覧。
  8. ^ 三田製麺所の「背脂濃厚つけ麺」が1年ぶりの登場! 人気メニューが更に楽しめるバリエーション3タイプ販売”. SankeiBiz (2018年9月28日). 2019年4月10日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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座標: 北緯35度40分35.6秒 東経139度42分44.8秒 / 北緯35.676556度 東経139.712444度 / 35.676556; 139.712444